2000年10月31日
重兼芳子という人の「たとえ病むとも」(岩波現代文庫)という本が
あります。
1993年に66歳で癌で亡くなった重兼さんの絶筆なのですが、
そこに次のような一節があります。
重兼さんが1991年に癌の大手術を受け、術後小康状態となっ
て、それまでボランティア活動をしていたホスピスに、再びボランテ
ィアとして復帰した時の思い出を書いたところです。
「 自分の病名を知って手術という修羅場をくぐり抜けてきた人たち。
あらゆる治療を受けても、すでに治癒し難いと悟っている人たち。つ
き抜けたような、さっぱりした穏やかな表情をしているのはなぜだろ
う。
決して生を諦めているのではなく、生を放棄しているのでもない。
肉体は此岸にいながら、心の奥深いところで彼岸を見つめている。
現世を一所懸命に生きていながら、来世へと継続してゆく希望を失
っていない。
私にも知らぬ間に彼らと共通のまなざしが育ってきているのだろ
うか。そうでなければこれほどの親近感を覚えるはずがない。心を
込めてお茶を入れてあげると、『ありがとう、おいしい、香りがいい』
と、相好を崩して喜ばれるその表情。
そうなんだ、味わうもの、視るもの、聴くもの、今その瞬間を五感
いっぱいに感じているのだ。意識してそうしているのではなく、やが
て渡るべき彼岸をみつめているうちに、一期一会の思いが、自然に
培われてゆくのである。」
考えてみれば、ここでの重兼さんとホスピスの患者さんたちとの関
係は、我々お互い同士の関係と、死期の迫り具合が違うだけで、まっ
たく同じではないでしょうか。