2012年2月19日
 標題の3要素(極貧と土埃と父娘)において共通する小説と映画を、このひと月の間に、鑑賞することになりました。
 小説は長塚節の「土」、映画はハンガリーの監督タラ・ベーラの「ニーチェの馬(原題「The Turin horse」(トリノの馬))」です。
 
 小説「土」は、唐木順三「日本人の心の歴史」における次の文章をきっかけに読んだものです。
 「『土』は写生文学の極北を示している。極北であることにおいて『写生』を脱落、或ひは超越している。文学とはそもそも、かういふものであるかもしれぬといふ、さういふ典型といってよい。」


 映画「ニーチェの馬」は、朝日新聞の映画評で紹介があり、①ニーチェが再び正気に戻ることがなくなった事件、トリノの広場で御者に鞭打たれる馬を見て、駆け寄り、泣き、卒倒したという事件に関係するものであること、②極貧の生活が描かれたものであること、③監督がこの作品をもって最後の作品としていることなどから、ただならぬものを感じて観に行ったものです。


 「極貧」ということに関しては、「土」には明治期の関東の寒村に暮らす小作農の、盗癖にまで至る生活苦が執拗に描かれており、「ニーチェの馬」では、ニーチェの事件の馬がその後どうなったのかという話からすれば、舞台はイタリア・トリノ近辺ということになるのでしょうが、荒野の一軒家での、寒風吹きすさぶ中での毎日の水汲み、食事は1日にゆでた馬鈴薯ひとつだけといった生活が描かれています。


 「土埃」ということに関しては、「土」では、「激しい西風が目に見えぬ大きな塊(かたまり)をごうっと打ちつけてはまたごうっと打ちつけて皆やせこけた落葉木の林を一日いじめ通した。」という文章で小説は始まり、その後絶えず、この強い西風に吹きまくられ、乾いた関東の赤土のざらついた感じが小説全体に付きまといます。「ニーチェの馬」では、映画が描くのは6日間、しかも第1日目、第2日目と、日にちの経過が意識させられるのですが、その間一貫して木の葉や枯れ草が舞い、土埃が巻き上がる暴風の毎日です。


 「父娘」ということに関しては、「土」では、堕胎の失敗よる母親の急逝で残された父親(勘次)と婚期を迎えつつある娘(おつぎ)のふたりを中心に話は展開します。「ニーチェの馬」では、右腕が不自由でひとりでは着替えもできない、荷車引きが仕事と思われる父親と、家事を担い、父親を助ける成人の娘が登場し、こちらの場合は2度の外来者があるだけで、話の展開というものはほとんどありません。


 さて、「土」で描かれる戦前の小作の極貧生活にはほとんど救いがないと感じざるをえないのですが、娘おつぎのひたむきな献身、隣家の地主の内儀の心遣いによって、小説上は先行きに薄明かりが差していないとは言えない結末になっています。
 一方、「ニーチェの馬」のほうは、ニーチェが「神は死んだ」と断じたことに対する監督タラ・ベーラの反応なのかもしれませんが、神が6日間で世界を創ったという旧約聖書「創世記」の「天地創造」とは逆に、「天地創造」では第1日目に「光」が創られ、昼と夜ができるのですが、「ニーチェの馬」の6日目・最終日には「光」が失われ、世界の滅亡が示唆されるという救いのない結末になっています。


 なお、ニーチェのトリノ事件は1889年、「土」が漱石の推薦によって朝日新聞に連載されたのは1910年(明治43年)、舞台は遠く離れていましたが、描かれている時代はほぼ同時代ということになります。