2012年1月26日

  橋下市長の大阪が教育基本条例案を巡ってもめているようです。
  報道によれば「教育目標(あるいは教育振興基本計画)を決める権限を首長が持てるかどうか」「その教育目標(あるいは教育振興基本計画)を果たさない教育委員を首長が罷免できるかどうか」といったことが争点のようで、関係法律を所管する文部科学省も巻き込んだもめごとになっているようです。

  橋下市長の基本路線の一つに「官僚主導から政治主導へ」というのがあると思いますが、言い換えれば「市民から遊離した官僚主導の行政から、市民のニーズに応える・市民に支えられた政治主導の行政へ」ということができるでしょう。そのことに橋下市長ほか「大阪維新の会」のメンバーにも異議はないと思います。
  このような市民を基本とする考え方からすると、今回の教育基本条例を巡る橋下市長の問題設定は、その基本路線に沿ったものとは、どうも思えません。

  すなわち、教育目標の設定権限、目標に反した場合の処分といった問題は、教育行政の組織・制度の仕組み方の問題であり、一定の安定性が要請される教育制度に関する専門的知識を必要とする問題であって、本来、市民の日常感覚の世界からは遠く、市民の判断が極めてむずかしい問題だからです。

  権限とか処分とかの問題はさておいて、まずは設定しようと考えている教育目標なり教育振興基本計画を市民の前に明らかにしたらどうでしょうか。
  そして教育委員あるいは教育委員会はそれに対して賛否を明らかにするなり、対案を出すなりしたらどうでしょうか。
  そのことによって中長期的観点を必要とする目標設定権限、処分権限の問題が決着がつくとは思えませんが、少なくとも問題の背景にどのような実質的な対立がはらまれているのか、いないのか、どちらの側に妥当性があるのか、といったことが市民の前に明らかになるでしょう。
  また、教育のあり方についての実質的な議論を市民の間に巻き起こすことができるでしょう。

  このような市民の政治参加、行政参加を可能とするような問題の設定と親切丁寧な情報サービスを提供することなしに、橋下市長・「維新の会」と教育行政プロ集団との対立を市民の前にさらし、そこに市民を巻き込んで、教育行政を勝ち負けの舞台とするのは、本来の市民重視の政治手法とは言いがたいのではないでしょうか。
  橋下市長・「維新の会」の基本路線は、行政上の複雑困難な問題を単純に新旧勢力の対立関係として演出し、政治を市民が熱狂興奮するコロセウム・エンタテイメントとし、大衆動員的手法で「守旧勢力」に勝っていくストーリーにより、「維新」勢力の拡大を図る、ということなのでしょうか。
  もしそうであるとすれば、それは市民尊重路線の仮面をかぶった大衆蔑視路線といわなければなりません。