2000年12月13日
例えば、ビンの中に砂糖が入っていたとします。
その砂糖が、入れる時の入れ方のためか、ビンの形のためか、外
の温度がビンのまわりで不均等のためか、一様ではなく、あるところ
は密、あるところは疎であったとします。
それでも、砂糖にはかわりません。
同様のことが我々の宇宙にもあります。
宇宙の物質は素粒子、クオークに還元することができます。
(原始宇宙ではクオークが一様に分布していたクオークスープといわれ
る時期があったことがビッグ・バン宇宙論で明らかにされています。もし
かすると、最先端の素粒子論では、クオークよりもっと小さな粒子に還
元できるのかもしれませんが、この点は知識不足です。)
月があったり、星があったり、山があったり、海があったり、人があっ
たり、机があったり、酸素があったり、水素があったりするのは、クオー
クの疎密の違いにしかすぎません。
その疎密の違うものに対して、人がいろいろと名前を付けているだけ
なのです。
疎密の差があっても砂糖は砂糖であるごとく、疎密の差はあってもク
オークはクオークにすぎないのです。
それをことさらに区別して考えること、これすなわち仏教でいう分別で
はないでしょうか。
「般若心経」の有名な「色即是空」というのも、このことを指摘している
のではないかと思われます。
「色」というのは物質的現象をいい、「空」というのは何もないこと、別
言すればすべてが同じものであることをいうのです。