2000年12月19日

  本日(2000年12月19日)の朝日朝刊「声」欄の「『幼児虐待』なぜ」

という3つの投書に、私は朝から「キレ」そうでした。

  「親が自らの責任の重大性を自覚することが、何より大切」「自制
心のなさと想像力の欠如」「親の感情やストレスで、子どもを虐待して
はいけない」「せっかく授かった大切な命を自分勝手な気持ちで死な
せてしまうなんて信じられません」

  これらの投書には次のような点が見られます。
(1) 幼児虐待の原因について何も考えておらず、ただ普通でな
い親による異常な事件としかとらえていないこと。
(2) 母性(本能かどうかわかりませんが)は本来備わっているも
のであることを主張しているようで、実は信じていないこと。
(3) 自らを省みる姿勢が欠如していること。

  結局、「幼児虐待」に憤ることで、自らを正当化する(いい子ぶる)と
いう偽善的な態度が見られるだけなのです。

  あらゆる残虐非道が許されていることを本当に知ったものはそのよ
うなことはしないというドストエフスキーの考え方に即して考えてみれば、
現在、若いペア、特に若い女性たちは、ありのままの自分でいいんだ
という、許されているという感覚からはるかに遠い立場に追い込まれて
います。世間という得体の知れないものが打ち出してくる物差し(「価値
基準」)、それは具体的にはテレビのニュースショウ、安直ドラマ、女性
週刊誌など、安っぽく下品で、しかしもっともらしいメディアから提供され、
仲間内のおしゃべりによって強固にされているものですが、それによっ
て自分たちの現実を計測し、極めて強い焦燥感に陥っています。

  そこから脱出しないかぎり、「幼児虐待」をはじめとする人間性の喪失
状態からは解放されないでしょう。