2001年1月23日

  へ理屈であることを承知でへ理屈を言ってみたいと思います。

  国家を強調し、民族を強調する人たちは、同時に日本民族の優秀
性も強調しているように見えます。(経済実績が日本民族は優秀だと
いう幻想を一般国民のものにもしてきたと考えられます。)
 
日本民族の優秀性などという無根拠の非科学的主張に私は決して
同意できませんが、仮にそれが正しいとしてみましょう。
  日本民族が優秀ならば、なぜ日本人は国家という小さな入れ物の
中に群れて、「君が代」とか「日の丸」とかいう倒錯的フェティシズムに
ふけらなければいけないのでしょうか。
  日本民族が優秀ならば、なぜ外国人労働者の受け入れにこれほ
ど消極的でなければいけないのでしょうか。なぜ、永住外国人の参
政権付与に尻込みをしなければいけないのでしょうか。
  日本民族が優秀ならば、なぜ国家を解散し、世界各国でそれぞれ
が活躍するという道が考えられたことがないのでしょうか。

  国家、民族を強調する人たちは、実は日本民族の優秀性を信じていな
い、むしろ劣等であることを極度に恐怖していると考えざるをえなくなりま
す。

 (本日の朝刊に「勝つ日本(石原慎太郎、田原総一朗)」という本の広
告があり、それによれば石原はその本で「大量の移民が到来し、日本が
大混血国家になることを、あえて私は肯定する」と発言しているようです。
鋭い石原は優秀性の強調と極度の恐怖との矛盾に気づいているようで
す。)

  劣等であるという認識に立つならば、あるいは普通であるという認識
に立つならば、そのような劣等ないし普通の民族が国際社会でどのよ
うに生き残っていけばいいのか、その対応方法を考えるという道が開け、
その前提に「民族とは何か」「国際社会と何か」「生き残るとは何か」とい
った問題を考える姿勢がおのずから出てきます。

  矛盾を矛盾と意識しないで、無理筋を通そうとするから、理念を生み
出す根本的思考が欠落し、旧日本兵の残虐行為を紹介され、「君だっ
たら実行する?」と教師に聞かれた高校生たちのほとんどが「国や偉い
人の命令だから仕方ない」などと平気で答えるような場当たり的思考し
か生まず、人間性喪失が蔓延してしまうのです。

  日本民族は劣等ではなかったのに、劣等化していっているような気
がしてなりません。