2001年1月31日
各地で混乱した今年の成人式、混乱させた若者たちも、混乱させら
れた主催者側も、その後の和解劇や「あるべき姿」をめぐる議論も、ベ
タベタし、フニャフニャし、ジメジメして、生あたたかく、気持ちが悪くてし
かたがありません。
言うまでもなく、「儀式」というものは、すべて、一つの例外もなく、ある
「秩序」(単なるルールといったものではありません。社会の仕組、その
背景にある精神といったものです。)をお互いに認め合う場という性格を
持っています。
結婚式、葬式、入学式、入社式、宗教的儀式、外交儀礼、すべて同
様です。
そして、「儀式」において、開催場所、式次第、座席順序などが問題に
なるのは、そのことによって「認め合う秩序」を反映する必要があるから
にほかなりません。
現在の成人式は、主催する側も「認め合う秩序」とは何かという明確な
認識がありません。参加する側も「秩序」を認めるか否かという判断に触
れることもなく、考えなしに遊びにやってきています。
しかし、「儀式」である以上、何らかの「秩序」の反映であることは避け
えず、その「秩序」とは何なのかを主催者側を含めてすべての出席者が
分かっていないために、必然的に式は混乱するのです。
私の場合の成人式は、ちょうど1970年でした。我々の世代は大人社会
の「秩序」などは胡散臭いものとして認めなかった。ムーンライダーズ詩集
の題名を借りれば「Don't trust over thirty」でした。
ですから、成人式に出席して大人社会の「秩序」を認めるなどということ
はそもそも考えられないことでした。昔の友達と会うために成人式に行くな
どというあいまいな行動はとりませんでした。仮に、「あるべき姿」について
の議論に誘われても応じなかったでしょう。
れた主催者側も、その後の和解劇や「あるべき姿」をめぐる議論も、ベ
タベタし、フニャフニャし、ジメジメして、生あたたかく、気持ちが悪くてし
かたがありません。
言うまでもなく、「儀式」というものは、すべて、一つの例外もなく、ある
「秩序」(単なるルールといったものではありません。社会の仕組、その
背景にある精神といったものです。)をお互いに認め合う場という性格を
持っています。
結婚式、葬式、入学式、入社式、宗教的儀式、外交儀礼、すべて同
様です。
そして、「儀式」において、開催場所、式次第、座席順序などが問題に
なるのは、そのことによって「認め合う秩序」を反映する必要があるから
にほかなりません。
現在の成人式は、主催する側も「認め合う秩序」とは何かという明確な
認識がありません。参加する側も「秩序」を認めるか否かという判断に触
れることもなく、考えなしに遊びにやってきています。
しかし、「儀式」である以上、何らかの「秩序」の反映であることは避け
えず、その「秩序」とは何なのかを主催者側を含めてすべての出席者が
分かっていないために、必然的に式は混乱するのです。
私の場合の成人式は、ちょうど1970年でした。我々の世代は大人社会
の「秩序」などは胡散臭いものとして認めなかった。ムーンライダーズ詩集
の題名を借りれば「Don't trust over thirty」でした。
ですから、成人式に出席して大人社会の「秩序」を認めるなどということ
はそもそも考えられないことでした。昔の友達と会うために成人式に行くな
どというあいまいな行動はとりませんでした。仮に、「あるべき姿」について
の議論に誘われても応じなかったでしょう。
その後の問題はさておき、誇り高き1970年代でした。