前回通信の問題を考えるため、「伝統」というものについて食生活に
即して考えてみたいと思います。

  合成着色料、保存料、発色剤、合成調味料等々我々の食生活の中
に「伝統的食生活」にはなかったさまざまな食品添加物が入ってきてい
ます。また、最近では遺伝子組換作物というのも登場してきました。
  これらは、それぞれ安全性の審査を受けて使用が許されているもの
ですが、何百年、何千年という長さで食されてきたものではないので、
消費者からの不安が消えることがありません。
  すなわち、安全性審査によって急性疾患の可能性はないにしても、
長期的、遺伝的、慢性的影響については保証されていないのではない
かという不安です。

  それに対して「伝統的食生活」のほうは、何百年、何千年という期間
人々に食されてきた実績がその安全性を保証しているということになる
わけですが、それでは「伝統的食生活」に復帰すればよいかといえば、
そういうわけにはいきません。
  「伝統的食生活」のほうも栄養不十分、特定の疾患の発症などの問
題を持っています。(それらが伝統的社会で問題化しなかったのは、短
命、高い乳児死亡率、老齢の腰曲がりなどが自然のこととして社会の中
に組み込まれてしまっていたからです。)
  したがって、推奨されている食生活パターンは「日本型食生活」と名付
けられつつも、乳製品、動物性蛋白の必要摂取量などからして到底「伝
統的食生活」そのものということはできません。

  社会のあり方を考えるにあたっての「伝統」の取扱いについて、この食
生活における「伝統」の取扱い方が参考になるのではないでしょうか。
(「伝統」を強調する西部邁は、「伝統」がはらむ問題点を、社会の中に自
然のこととして組み込まれていると判断しているがゆえに、問題として認識
せず、無視してしまっているのではないかと思います。)