西部邁の「国民の道徳」を読み終えました。
傾聴すべき多くのことが書かれていましたが、究極的には、やはり
批判せざるをえません。
西部は、戦後思想(例えば「ヒューマニズム」、「個人の尊厳」、「自
由」、「民主主義」、「進歩主義」など)は「人間の不完全性」という実態
を無視した傲慢な人間観に立つものであり、その結果さまざま悪影響
を社会にもたらしていると批判しています。
そして、「人間の不完全性」という認識に立って形成されてきた歴史
的英知たる「伝統」、そこに含まれている「道徳」を重視して、戦後思想
の誤りを正さなければならないと主張しています。
その限りにおいてはきわめて妥当な主張であり、その主張の展開に
はさすがと思わせる鋭さを発揮しています。
しかし、彼の問題は、その主張の勢いが余って「伝統」をほとんど絶
対視するに至っているところにあります。「伝統」の中のどれが歴史的
英知といえるものであり、どれが歴史的誤りであるのか、その判断基
準は何か、そのことについての彼の論述はほとんどありません。
「援助交際」「人を殺していけないのはなぜか」「夫婦別姓」「父親母
親の役割分担」といった具体的問題になると、彼の論述は読むに耐え
ないくらい精彩を欠いた、陳腐平凡なものにすぎません。
そして、本書の最後で彼は次のように書いているのですが、「人間
の不完全性」の認識を強調していたはずなのに、それを忘れてこのよ
うに書くことは、軽率なテロリストを生んでしまうだけなのではないでしょ
うか。
「 生命至上主義は近現代における最大の不道徳といってよい。
………生命至上主義は、人命という手段価値にすぎないものを
至高の高みに登らせることによって、目的についての一切の価
値判断を放棄させる。その意味で、人命はニヒリズムの苗床な
のだ。
そうした生命をめぐって自分の内部から起こってくる不道徳の
根を絶つには、自分の生命を自分で抹殺してしまうこともありうべ
し、と構えるほかない。どういう徳義を守るためにどう死ぬべきか、
そのことを価値観の最高峰におけば、自分の生命から不道徳が
生まれるという人間の最大の弱点を、あらかじめ封殺することが
できる。」
西部個人にはこれでいいのかもしれませんが、世の中にはおっちょ
こちょいが多いのです。
傾聴すべき多くのことが書かれていましたが、究極的には、やはり
批判せざるをえません。
西部は、戦後思想(例えば「ヒューマニズム」、「個人の尊厳」、「自
由」、「民主主義」、「進歩主義」など)は「人間の不完全性」という実態
を無視した傲慢な人間観に立つものであり、その結果さまざま悪影響
を社会にもたらしていると批判しています。
そして、「人間の不完全性」という認識に立って形成されてきた歴史
的英知たる「伝統」、そこに含まれている「道徳」を重視して、戦後思想
の誤りを正さなければならないと主張しています。
その限りにおいてはきわめて妥当な主張であり、その主張の展開に
はさすがと思わせる鋭さを発揮しています。
しかし、彼の問題は、その主張の勢いが余って「伝統」をほとんど絶
対視するに至っているところにあります。「伝統」の中のどれが歴史的
英知といえるものであり、どれが歴史的誤りであるのか、その判断基
準は何か、そのことについての彼の論述はほとんどありません。
「援助交際」「人を殺していけないのはなぜか」「夫婦別姓」「父親母
親の役割分担」といった具体的問題になると、彼の論述は読むに耐え
ないくらい精彩を欠いた、陳腐平凡なものにすぎません。
そして、本書の最後で彼は次のように書いているのですが、「人間
の不完全性」の認識を強調していたはずなのに、それを忘れてこのよ
うに書くことは、軽率なテロリストを生んでしまうだけなのではないでしょ
うか。
「 生命至上主義は近現代における最大の不道徳といってよい。
………生命至上主義は、人命という手段価値にすぎないものを
至高の高みに登らせることによって、目的についての一切の価
値判断を放棄させる。その意味で、人命はニヒリズムの苗床な
のだ。
そうした生命をめぐって自分の内部から起こってくる不道徳の
根を絶つには、自分の生命を自分で抹殺してしまうこともありうべ
し、と構えるほかない。どういう徳義を守るためにどう死ぬべきか、
そのことを価値観の最高峰におけば、自分の生命から不道徳が
生まれるという人間の最大の弱点を、あらかじめ封殺することが
できる。」
西部個人にはこれでいいのかもしれませんが、世の中にはおっちょ
こちょいが多いのです。