2001年3月2日
「国民国家」というのは、いまや当たり前の(というのは、疑問の余地
のない正当なものとして一般に考えられている)概念となっています。
しかし、東西冷戦の終了とともに各地で頻発している悲惨極まる民族
対立の根本的原因が、この「国民国家」というものにこそあるということが
気づかれ始めています。
というのは、「国民国家」成立以前の時代においては、諸民族が平和的
に混住していたという事実が広範に見られるのであり、「国民国家」成立に
よってその平和が破られるという事態が頻発しているからです。
台湾出身の作家陳舜臣もモンゴル帝国下の諸民族融和を例に上げて、
そのことを指摘しています。
なぜ「国民国家」は民族共存と矛盾するのでしょうか?
それは、「国民国家」というものが、実態はともあれ、理念としては国家
が「共同体」であることを掲げるところから来ていると思われます。
(それまでの国家は、支配者の支配する土地と人民の範囲を意味する
ものでしかありませんでした。)
「共同体」は、その大小を問わず、すなわち最小の共同体の家族から「国
民国家」にいたるまで、その共同体の利益を享受しうる構成メンバーを確定
することを必然とし、さらに利益を享受する優先順位付けを必然とします。
そして「国民国家」を標榜する以上、メンバー確定、優先順位付けに民族
という指標が登場せざるをえないのです。
「国民国家」というものは西欧近代が生み出して、今日全世界を覆うに至
った特殊歴史的なものです。
歴史を後戻りすることはできませんが、あらゆる局面で西欧近代が問い
直されている今日、「国民国家」というものも俎上に上げられざるをえないの
です。