2001年4月2日
東京都知事石原慎太郎著の「いま魂の教育」(光文社)の大きな
広告が先日の朝刊に出ていました。
広告によってその本を批判することが正当でないことは百も承知
ですが、だからといって到底買って読む気にはなれないので、広告の
どこに引っかかったのかを報告しておきたいと思います。
「『豊かな心の育て方』97」というサブタイトルのお手軽さがまず気
に入りません。「魂」とか「心」とか、重い課題を取り扱っているにもか
かわらず、まるで「97を切るためのゴルフ上達法」のごときノウハウも
のではありませんか。
「自分が欲しないことを人にしないことが社会のルール」「川を源流
から海まで下り、川の一生を目の当たりにさせる」「散る花をいとおし
む心を育てよう」「父親の手の感触は、子供に愛を伝える」「自分の家
だけの家風をつくろう」、内容の一部らしいこれらの一見常識的なスロ
ーガン、これらのスローガンを俎上に上げて批判的に論じれば読むに
値いするでしょうが、これらのスローガンをただ読むのになんで1200円
も使う気になれるでしょう。安売りのCDを買って、ゆっくりひとりで聴いて
いたほうが、よほど「心」のためにいいと思われます。
「物で栄えて心で滅びる日本を救うには、物を超えた存在を、親が子
供に伝える『魂の教育』しかありはしない」、ここには親子関係について
の石原の幻想がはっきり現われています。現在の問題は、親が崩れて
しまっているところにあるのであって、そのために親が子供を教育しえ
ないということにこそ深刻さがあるのに、石原はそのことを完全に無視し
ているのか、忘れてしまっています。
そして、「魂の教育」がなんで「日本を救う」ために行われるのでしょう
か。「魂の教育」というのがあるとすれば、それはあくまで人のために行
われるべきものであって、決して国家を救うために行われるものであって
はなりません。それでは、人よりも国家のほうが優位に置かれ、「魂の教
育」は、本来目的でなければならないものであるにもかかわらず、単なる
手段にされてしまうことになります。そんな「魂の教育」が本当のものにな
るとは思われません。石原の国家主義者、民族主義者の本質がここに現
われているのであって、キナ臭さまで感じさせられてしまいます。
瀬戸内寂聴の「献辞」の一部も掲載されていますが、現状に対する「情
けない」の言葉の連発で、仏教者、作家の文章として実に「情けない」。い
ちいちの問題指摘は止めておきます。
文章を書くのは、それがかなりの駄文でも、相当のエネルギーを必要と
します。忙しい石原がエネルギーを費やして、しかも作家としての誇りを維
持し続けているであろう石原が、こんな本をわざわざ書くものでしょうか。瀬
戸内の献辞を含めて、これはゴーストライターによるものに違いありません。
なお、小林秀雄曰く、
「 政治家は、社会の物質的生活の調整を専ら目的とする技術家である、
精神生活の深い処などに干渉する技能も権限もない事を悟るべきだ。政
治イデオロギー即ち人間の世界観であるという様な思い上がった妄想か
らは、独裁専制しか生まれますまい。」(「私の人生観」)
これは、たぶん当時の左翼をターゲットに書かれたものだと思われますが、
御参考までに。