2011年11月27日
投票締め切り時間直後、大阪ダブル選挙で橋下グループの勝利が速報されました。
大阪の人々は、橋下グループを圧倒的に支持したようです。
選挙の争点は「大阪都構想」の是非ということでしたが、「大阪都構想」それ自体は行政の効率性を高めるための枠組みの問題で、本来は地味な問題です。
それゆえ、戦いの内実はまったくそこにとどまりませんでした。
大変革により大阪の再生を図るか、既存の枠組みの中で政策を展開していくか、という選択を迫る選挙となりました。
二つの選択肢の隔たりが大きすぎて、選挙民の選択は技術的吟味を超えたところで行われざるをえなかったものと推測されます。
「堅実、しかし停滞」を選ぶのか、「リスクしかし飛躍」を選ぶのか、というのが選挙民が事実上迫られた選択でした。
そして大阪の人々は後者を選んだのでした。
戦前、戦後を通じた評論家亀井勝一郎(1907~1966)は、著書「現代史の課題」(1957)において、戦後の歴史を規定する要素として「生活の不安」を上げ、次のように書いています。
「 生活の長期設計の不可能と、疲労度の激しさは、必然的に人間を刹那的たらしめ、生活設計は投機性を帯びざるをえない。様々なかたちで賭博の盛んになったことはやはり戦後の特徴であろう。」
また、同書において、太平洋戦争前に古典と伝統の復活が強く叫ばれた事態に対して、次のように書いています。
「 危機感の深まりは、その実態の正視よりも、しばしばファナティシズムを導き出すものである。『古代』が熱狂的に求められ、みそぎが始まった。あるいは武士の典型が歴史から呼び出された。そこにはさきの知的混乱から脱却するための、単純性への復帰、あるいは原始へのあこがれのようなものが宿っていたと言える。」
さらに、亀井勝一郎は、第1次世界大戦から太平洋戦争の間の戦間期において、ジャーナリズムが(ということは社会全体が)『いちじるしく娯楽性を帯びた』ということを指摘し、『恐怖をひそめた平和というものは刺戟の強い娯楽をもたらすものである。』としています。
「刹那的」「投機性」「ファナティシズム」「熱狂」「単純性への復帰」、大阪の人々の選択の背景にそのようなものがなかったか、今回の選挙で見られた劇場型政治というものは政治が娯楽性を競っているものではないのか、大阪から遠く離れてそんな懸念を感じています。