2001年4月24日
「和魂洋才」という言葉があります。ご存知のようにナショナリズムを
傷つけることなく圧倒的優位にある西洋の技術に対応するために考え
出された明治期の一種のスローガンです。
そして、精神は日本、技術は西洋などという御都合主義の考え方は
成立しないのだと気づいてしまった苦悩が、夏目漱石しかり、森鴎外し
かり、明治期の文学史の通奏低音、あるいは主旋律だともいえるようで
す。
一時もてはやされた日本型経営が、あっという間に神通力を失い、い
まやグローバライゼーションの大合唱ですが、同様の問題をはらんでい
るかもしれません。しかし、このことは、この通信のテーマではありません。
「和魂洋才」という言葉は、「和魂漢才」という平安時代の言葉を元にし
て作られた言葉です。「漢才」というのは、言うまでもなく中国、当時は唐
の、技術的知識、儒学の教養、漢文を操る才能を言います。そして「漢
才」だけの技術官僚は身分も低かったし、尊敬されていませんでした。人
の上に立つ者は、すなわち天皇及びその周辺の人々ですが、「和魂」す
なわち「やまとだましひ」こそが必要なのであり、それのみがあればいい
のであって、技術的知識などは技術官僚に任せておけばいいのだ、とい
う考えがあったのです。(この部分は、山本健吉「いのちとかたち~日本
美の源を探る」に基づく独断と偏見による。)
さて、問題は、思想のレベルで「漢才」が儒学のことだとすると、「和魂」
=「やまとだましひ」とは何か、儒学と同じ外来思想である仏教、道教は
「和魂」に含まれているのかということです。日本的とされている「もののあ
われ」、無常、幽玄、「わび」、「さび」というその後の流れを見ると、含まれ
ているのではないかという気がします。
そして、もう一つの問題は、明治期の「和魂」の意味するものと平安期の
「和魂」の意味するものは違うのではないかということです。「やまとだましひ
」の本来の意味が、日本民族固有の忠孝を重んじる献身的精神、勇猛でい
さぎよい精神という近代における意味ではなかったことは、山本健吉が前掲
書でも指摘しています。西洋への対抗意識を強めざるを得なかった幕末か
ら明治期の時代背景が、「和魂」の意味を変質させていった可能性が高いと
思われるのです。
ちなみに、日清戦争の契機となった朝鮮における「東学党の乱」の「東学」
とは、西洋の学問「西学」に対する「東学」という意味であり、「東学党の乱」
は朝鮮における反西洋ナショナリズムの運動だったのです。推測すれば、そ
こでは「鮮魂」というのか、「韓魂」というのか、朝鮮における「和魂」に当たる
ものが強調されていたのではないかと思われます。