2001年5月8日

  いやはや読書体験、読書における出会いというものは不思議なも
のです。
  中曽根元首相の「日本固有の道徳律や社会規範」がいい加減なも

のではないかと批判し、「和魂洋才」あるいは「和魂漢才」における「和

魂」とは何かについて、仏教や道教が外来思想であるにもかかわらず

「和魂」の構成要素となっているのではないかとの疑問を持っていたと

ころですが、それにずばり答える本にめぐり会ったのです。
  鈴木大拙著「日本的霊性」(岩波文庫)がそれです。すなわち、鈴木
大拙はこの本で次のように言っています。

「禅は、南方系のインド思想にその源を置いて、それから北方系漢
民族のあいだで成立し、そこで北方的に育て上げられ、十分な実
証性を獲得して、それから東へ渡って南方系の日本的霊性と接触
した。それで日本的霊性は、一方においては漢民族の実証的論理
性を取入れたが、それにもまして南方系のインド民族的直覚性とも
言うべきものを、禅のうちに看取した。そうしてそこに自分らの霊性
の姿が映されていることに一種の満足を覚えたのである。日本的霊
性には、はじめから禅的と見られるものがあった。」
「神道系思想がややもすれば老荘ふうに傾くというのも、これがため

 であろう(老荘思想は、北方系 思想に対して南方系思想であるとい

 うこと。)」

  福岡への引っ越しのため、読み掛けの本も荷物の中に入れてしまい、
荷物を解くまでの間に読む本を求めて本屋をぶらついていて、この「日本
的霊性」を偶然見つけたのです。映画評論家の水野晴郎ではないですが
「読書って、本当に不思議なものですね!」。

  ただし、引用した鈴木大拙の断定には我が意を得たりの感はあるので
すが、鎌倉以前の日本思想(いい加減を許さない鈴木大拙にとっては思
想とはいえない。)をけちょんけちょんにする本書のその後の展開につい

ては、納得しかねるものがあることは付け加えておきたいと思います。