2001年5月10日

  埴輪は、王の死にあたり臣下、奴隷などをいっしょに生き埋めにしてい
た習慣のなごりだという説があります。
  前近代の土木事業に人柱が供されたこと、これは事実のようです。
  封建時代、君主の死にあたり殉死の制度があったことは、森鴎外の「阿
部一族」でも有名です。
  インカ帝国では一番の美少女を神への生け贄として捧げるという習慣
があったということをテレビで見たことがあります。
  インドでは、夫の死にあたり、妻を焼き殺してしまう習慣がまだ残ってい
るようで、それを禁止する政府通達が出されたという記事が最近ありまし
た。

  これらのことは、我々にとっては残酷極まりないというほかはないのです
が、その当時の人々がそれをどう受け止めていたのかということになると、
話は別のような気がします。

  前回通信のとおり、「自己意識」とか「個人」とかいうのは歴史的産物であ
って、それらが成立して初めて個人としての人間を尊重しようという「ヒュー
マニズム」というものが生まれたと考えられるのであり、「ヒューマニズム」の
成立していない時代、共同体の存続こそ至高の価値である時代には、共同
体(家族、ムラ、国など)のために人のいのちを犠牲にすることは当然とされ
ていたと考えられるのです。

  「自由、平等、博愛」というフランス革命の理念は、「ヒューマニズム」の観
点からそれ以前の時代の抑圧を解放するものとして評価されるのであって、
「ヒューマニズム」の立場に立たなければ、それは否定されるべきものでも
ありえます。

  「歴史の進歩」とは、現代の我々のものさしの上での「進歩」であり、時代
という条件を付した上での「進歩」でしかないのです。

( 言うまでもないことですが、この稿の目的は「ヒューマニズム」の否定で
は決してなく、我々に当たり前のことが普遍的であるわけではなく、いかに
歴史的所産であるかを説明することにあります。)