2001年5月17日

  皇太子妃懐妊で、再び「こんな日本語あったの?」というような変な敬語
がマスコミで飛び交うのではないかと懸念していますが、それはさておき、
天皇をめぐって学校での歴史では明らかにされていない疑問があります。

  それは、鎌倉から江戸までの武士政権の時代に、軍事的実力も経済的
実力もほとんどないと思われる天皇権力が細々ながらも生き長らえること
ができたのは何故か、ということです。

  天皇崇拝思想は、江戸時代になってからの国学によって復活したものと
思われ、その復活まで武士政権が政略的ポーズは別として天皇崇拝思想
を持っていたとは思えません。
  武士政権はつぶそうと思えばつぶせるはずの天皇権力を何故つぶさな
かったのでしょうか。

  答えは、やはり天皇権力は軍事的実力と経済的実力を持っていたという
ことではないかと思います。
  そして、その実力の源泉は、武士政権が農業を基盤にして人々を土地に
縛りつけ自由移動を禁止していたのに対し、自由移動禁止ではその商売が
成り立たない商工民などに天皇が自由移動の特権を与えること、そのこと
によるバック・ペイ、かつ彼らに対して天皇が宗教的権威であり続けたこと
にあったと考えられます。

  歴史学者網野善彦は、農業国家日本というイメージが作られたものであ
ること、膨大な商工民の存在があって経済が支えられていたこと、後醍醐
天皇の「建武の中興」が古代天皇制の復活をねらった対武士政権クーデタ
ーであり、それを支えた人々は封建秩序にはまりきらない種類の人々であ
ったことなどを指摘しています。

  田植え、稲刈りなどをして天皇は農業との結びつきが強いように思われ
ていますが、天皇は案外二重人格なのです。

(おまけ)
  大ヒットした映画「もののけ姫」は網野善彦の歴史観を下敷きにした映画
です。そこには農民は出てきません。
  また、先住民の信仰の対象である自然神を征服することに天皇のお墨付
きがあるという内容のせりふが1ヶ所あります。天皇権力は、政治的、経済
的闘争の勝者であるとともに、先住民との宗教闘争の勝者でもあることを踏
まえたせりふだと思います。