2001年5月23日
人間が富と権力を求めるものだということは、もちろん例外はあるで
しょうが、おおむね間違いないと言えるでしょう。
では、富と権力を何故求めるのでしょう。
生命の維持、子孫の確保といった必要をはるかに超えて求められる
富と権力の際限のなさからして、そこに生物学的根拠があるとは思えま
せん。言い換えれば、本能に基づくものではないと考えられます。
富とは、他人の労働の成果物あるいはそれを獲得する権利といえま
す。権力とは、他人の労働の成果物を獲得する権利及び他人の労働を
支配する権利といえます。結局、富と権力を求めるということは、他人の
労働を求めることだということになります。
通俗的には、他人の労働を求め、それに頼ることを「甘え」といいます。
富と権力の追求とは「甘え」の追求なのです。
人間は群れでしか生きていけないという宿命を持った悲しい、弱い動
物です。個体としては十分な自立性に欠けており、他者依存が不可欠で
す。この宿命、そしてこの宿命がもたらせた自立性の欠如と他者依存性、
これらが文明の発展(=甘えられる余地の拡大)とともに必要性を超えて
肥大化したもの、それが富と権力の追求ということになると考えられます。
「舌切り雀」「こぶとり爺さん」「おむすびころりん」等、古今東西の昔話
は富と権力の追求をたしなめる話に満ち満ちています。一方、我々の社
会は、「発展」の動力は人々の富と権力の追求にありとしている特殊な社
会です。
最近特に、自立せよ、自己責任原則を貫徹せよ、その上で富と権力を
追求せよ、それが社会の発展の原動力だと叫ぶ声が強くなっています。
しかし、社会の「発展」の動力たる富と権力の追求が、実は自立性の欠
如、他者依存性による「甘え」であることを考えると、このような主張には
矛盾があると考えざるを得ません。「甘えないで、甘えろ」と言っているの
と同じことだからです。
真に自立すれば、「甘え」=富と権力は不要になるはずだからです。
かつてナチス親衛隊の生態を描いた「地獄に堕ちた勇者ども」という映
画がありました。詳細は忘れましたが、彼らの権力志向が実は「甘え」で
あることをその映画がとらえていたことをかすかに記憶しています。