2001年5月28日
幕末の志士、長州の高杉晋作の作った有名な歌(小唄というのでしょ
うか)に「三千世界のからすを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」」というの
があります。
この「三千世界」というのは仏教の蓮華蔵世界観の言葉で、須弥山(
しゅみせん、お寺の本堂の正面の高いところを須弥壇というのの語源)
を中心にした小宇宙(これが小蓮華)が3000でなく1000の3乗個、す
なわち10億個あって全宇宙(大蓮華)を構成しているという意味です。
(最近の観測結果では、銀河は1250億個あるといわれているので、
現実が仏教の想像力を超えています。)
そして、人間は一つの小蓮華の中にある東西南北の4つの島のうちの、
たしか南の島にいるに過ぎないということになっています。(西村公朝「祈
りの造形」(NHK出版会)には蓮華蔵世界観の略図があります。)
さて、本題に入りますが、宗教は、しつけ、法令、倫理、道徳などと並
んで人間に行動規範を与えるものです。そして、宗教を含むすべての行
動規範は、それが正当であることについて説明を必要とします。
「何故、これこれをしなければならないのか」「何故、これこれをしては
ならないのか」という疑問に対する答えがなければならないということで
す。
この疑問に対する答えに対し、更に疑問を重ね、その答えにまた疑問
を重ねるということを繰り返していくと、宇宙観、世界観、人間観に辿り着
きます。すなわち、「宇宙はかくかくしかじかであり、世界はかくかくしかじ
かであり、その中で人間はかくかくしかじかである、ゆえに」という答えで
す。途中の答えを常識的なところとして手を打ってしまえば(損得、美醜、
他者への思いやり・他者への迷惑、人間的・非人間的等々)、それは世
俗的ルールであるにとどまり、世の中のほとんどはこれで動いているの
だと思いますが、常識的だというに過ぎず、正当であることの証明は完
成していません。
蓮華蔵世界観というのも、当時(古代インド)の知識を総動員した行動
規範正当性証明のための先人たちの努力の成果のひとつなのです。
翻って、我々の持っている行動規範について、現在の最先端の科学的
知見とも矛盾しない宇宙観、世界観、人間観に基づいて、その正当性が
証明され得ているのかと問うてみると、はなはだ心もとないというのが現
状だと思います。