2001年6月1日
東京浅草での女子短大生殺人事件の犯人、例のレッサーパンダの
帽子をかぶった男が、殺人の動機について「女子大生を自分のものに
したかった」と語ったというニュースがありました。
このように異性を所有するという言い方は、我々の日常においても頻
繁に使われています。「俺の女になれ」「あなたは私のものよ」等々、男
女を問わずこのような言い方があります。
そして、このような言い方は人類の歴史の中では、比較的新しいので
はないかと考えられています。
人類の歴史の大部分を占める採集・狩猟時代、男女は別れて生活を
していました。男たちは集団で狩猟の旅に出て、時々獲物を持って里に
下りてきて、女たちの集団と会うという生活をしていたと思われます。
男女が交じり合って、身を接して暮らすというのは、人類にとってまだ
まだ新しい経験なのです。(慣れていないから、そのことに伴うトラブルが
依然として多い!)
そのころの男女別々の暮らしでは、ペアを組むというのは超短期に過
ぎず、ある程度の持続を前提とする所有という観念が生じる余地はなか
ったと考えられるのです。
なお、自分の肉体の一部を所有しているような言い方、例えば「私の手
」「私の足」「私の心臓」「私の大脳」等々も、極めて新しい言い方であると
指摘している学者もいるようです。
「手」は私の所有物ではなく、私そのもの、「足」も私の所有物ではなく、
私そのもの、こういう考え方によって肉体の一部を所有格で表わす表現
はなかったというのです。
肌も爪も髪の毛も私そのもの、こう考えると風呂で垢すりをするのも私
自身を洗い流すことになるわけで、なかなか感慨深いものとなってきます