前回の考察を更に進めなければなりません。前回レベルにとどまって
いることには危険があります。
夫の仕事、夫が負っている社会的状況、夫が自己の死に付与している
意味、これらについての夫婦間での共通認識、これがあることは美談であ
り、夫婦の理想であるかもしれません。
しかし、問題のその1は、妻の仕事、妻の負っている社会的状況、妻が
自己の死に付与している意味、これらについての夫婦間での共通認識、
このことが忘れられるとすれば、上記の夫婦の理想には男性優位という
前近代性がはらまれているということです。
問題のその2は、たとえ夫婦であるにせよ、個人の間での上記のような
ことについての共通認識の獲得はそんなに簡単なはずはないということ、
広田夫妻にしろ、乃木夫妻にしろ、その簡単でない共通認識が成立してい
たとすれば、その成立の理由は、「お国のため」とか「大和民族のため」とか
「天皇陛下のため」とかいう単純な「理念」が背景になっていたからではない
かということ、単純な理念は、わかりやすく、しかしあいまいで、ゆえに非人
道につながる危険性を有するということです。
夫婦間での共通認識という理想は、夫婦間での理想であるかもしれませ
んが、安易にそれを追求することは、トータルに社会全体で考えれば、恐ろ
しい害悪を流し、惨禍をもたらすものであるかもしれないのです。
夫婦間での共通認識が現代日本で著しく困難であることは、小さな不幸、
大きな幸福なのかもしれません。