2001年6月19日
前回通信の問題2の答の人物、絞首刑となったA級戦犯広田弘毅
の夫人静子は、東京裁判開始直後、夫の絞首刑執行の半年前(昭和
21年5月18日)に服毒自殺しています。
広田と夫人はともに裁判当初から死刑を覚悟していたと思われ、夫
人の死は半年前とはいえ夫に殉じた死という性格を持つものと考えら
れます。
明治天皇の崩御にあたっての乃木将軍と同時の夫人の殉死と共通
するところが感じられます。
それは「公」の性格を持つ夫の死への夫人の同調です。
戦後、現在に至るまで、同様の事例を私は知りませんが、夫の死へ
の夫人の同調をどう評価するか、前近代的現象として切って捨てられる
か、これが問題です。
「広田の死への夫人の同調は、夫の仕事、夫が負っている社会的状
況、夫が自己の死に付与している意味などについての共通認識が夫人
にあったからではないか」これが私の仮説です。
東京裁判中、広田の次女、三女は法廷傍聴を1日も欠かさず続け、被
告席の広田と視線を交わし、頷き合い、互いに手を上げての挨拶をして
いたといいます。
このことが示しているのは、広田の家族が決して前近代的家族ではな
かっただろう、広田が妻と娘たちに囲まれた明るい家族の夫であり父親
であっただろうということです。
この広田一家のあり方が、私に上記の仮説……それは前近代のもの
でなく、近代のものです。そして、現代日本ではその成立が著しく困難化
しています。……を呼び起こすのです。