2001年6月29日

 幼女連続誘拐・殺人犯、宮崎勤の控訴審判決で、死刑を言い渡した
1審判決が支持され、控訴が棄却されました。
 この控訴審判決では、宮崎勤を死刑とするために論理的手抜きが行
われたのではないかと思います。

 宮崎勤に対しては3通りの精神鑑定が出されています。
  完全な責任能力を認めるもの、多重人格と離人症を主体とする精神
病とするもの、精神分裂病とするものの3つです。
  そして1審、控訴審とも後二つの鑑定を採用せず、前一つの鑑定を採
用しています。
 いずれ専門家の判決分析が出ると思いますが、報道の限りではこの3
つの鑑定の採否の理由が不明確です。

 私は「改訂版宮崎勤精神鑑定書(瀧野隆浩著)」を読み、宮崎勤は多重
人格だと考えています。(多重人格については、ダニエル・キースの「24
人のビリー・ミリガン」(私は未読)で有名になり、日本でも大竹しのぶ主演
のテレビドラマで多重人格が取り扱われました。)

 そして、多重人格について責任能力を問えるのかという問題に判決は
チャレンジすべきだったと考えるのです。
 すなわち、Aという人間にB、C、Dという人間が同居していて、Bという人
間が犯罪を犯した場合、かつBという人間はBという人間として責任能力
はあるという場合、Aという人間を罰することができるかという問題です。

 この問題は極めてむずかしい問題です。
  しかし、今後もこの問題は発生する可能性があり、この問題に対する
答を我々の社会は用意しておかなければなりません。
 にもかかわらず、「もう一人の自分が現われた」とする宮崎勤の公判供
述を「自己の責任を回避しようとしている」と、薄っぺらな人間観で片づけ
てしまう判決の態度は、多重人格という病いの存在を無視した問題回避
の手抜きと思わざるを得ないのです。

 裁判官は論理によって仕事をすることが期待されている職業であり、論
理を捨てて社会の雰囲気に迎合するようでは事実上職務放棄ということ
になると思います。
  そして、もし死刑にすべきでない人間に死刑を言い渡したとすれば、それ
は殺人です。