2001年7月25日
医療技術の発達が倫理・道徳と抵触するのではないかといろいろな問題を
引き起こし、世間の話題になってきています。
特に生殖医療あるいは生殖補助医療の分野は、臓器移植が「死」の問題で
あるのと対応して、「誕生」の問題であるためか、一般にも話題性の強い分野
となっているようです。
端的に言うと、第3者卵子の利用による出産、代理母による出産が問題の
中心です。
アメリカではすでに認められて相当の実績があるようですが、日本では法的
規制はないものの、産婦人科学会では認めないという態度であり、その中で妹
の子宮を借りた出産事例が出て議論を呼びました。
ところで、本通信はこのような問題について直接の答を考えようというもので
はありません。
問題の取扱いに著しい男女非対称が見られることを指摘したいのです。
すなわち、第3者精子利用は、日本の場合戦後直後から慶応大医学部で行
われてきており、そのことが倫理・道徳上の問題にはまったくなってきませんで
した。
慶応大医学部の連中はいいアルバイトがあってうらやましいといった話題にな
っていたに過ぎません。
そして、第3者卵子利用、代理母について現在問題にされていることは、いっ
たい遺伝学上の母(卵子母)と出産した母(子宮母)とどちらが本当の母かという
ことであり、里子、養子に伴う昔からの問題(生みの母か育ての母か)と同じよう
な問題が議論されているのです。
遺伝学上の問題(例えば、図らずも近親婚をしてしまうというような問題)が問
題とならないのは、第3者精子利用でも第3者卵子利用でも質的には変わらな
いから当然です。
結局、父親が誰かということは社会的にあまり問題とされないのに、母親が誰
かというのは社会的に放置できない問題とされて、(しかも、生みの母と育ての母
とどちらが本当の母かは議論済みのように取り扱われ、卵子母と子宮母とどちら
の母が本当の母かについて)かまびすしい議論が巻き起こっているのです。
この男女非対称の現象は、我々の文明の根本に触れる内容をはらんでいるの
ではないか、私はそんな気がしています。
( もしかすると、父親の場合は匿名性が確保しやすく、候補者が特定されにく
いのに対し、母親の場合はそれが困難であるという技術的問題に過ぎないの
かもしれませんが……)