2001年8月29日
残暑厳しき26日(日)に福岡県宗像郡玄海町にある宗像大社に行って
きました。
訪れるきっかけとなったのは、長部日出雄の「天皇はどこから来たか」
という本に次のような一節があったからです。
「 かれ(棟方志功、青森出身の有名な版画家。注)のルーツ論は、
記紀の表記と、人類学の金関丈夫博士の『むなかた』という文章で裏
づけられる。
……北九州の宗像はもともと胸形(本当は少し違う字なのですが活字
がありません。注)と書かれた。胸に鱗形の入墨をしていた海部
(あま)の子孫、これが北九州のムナカタ氏である。古代の北九州の水
人が入墨をしていたこと、海に沈没して魚蛤を捕ったことも、『魏志』の
倭人伝にはっきり出ている。」
そして、同じ本の次の一節によって、祭神とされている3女神はスサノオ
ノミコトの娘たちであると思い、そのような痕跡が神社のどこかに見られ
るであろうかという興味をもって訪問したのでした。
「 三柱とも、かの天照大神とスサノオの祈誓(うけひ)のさい、スサノオ
の物実(ものざね、種子)によって生み出された女神である。」
「祈誓(うけひ)」というのが何なのか、アマテラスとスサノオの子作りとい
う意味なのか、そこのところはよくわからないのですが、少なくとも3女神
の父親がスサノオであることは(もちろん神話上のことですが)間違いあり
ません。
しかるに、宗像大社における案内板(2つ)には「天照大神の御子神」と
あるのみで、スサノオの「ス」の字もないのです。帰ってから宗像大社のホ
ームページを読んでも同様でした。
この背景には絶対何かがある、そしてそのことを取り上げている研究者が
いないはずはないと思いますが、おそらく日本列島の非稲作先住民の象徴
であり、日本の神話上アマテラスの正統に対して非正統であるスサノオとの
関係を隠蔽しようとの意図が、その後も勢力を持ち続けた宗像氏か、宗像
大社にいつの時点からか働いたのは間違いないと思われます。
ちなみに、宗像大社の紋所は、元は違うらしいのですけれど、現在は正統
中の正統を表わす菊の紋所です。