2001年9月19日

「原始、女性は太陽であった」というのは日本のフェミニズムの先駆
者平塚雷鳥の有名な言葉です。
その言葉をなぞって言えば、「原始、人間は神であった」のではない

かという考えが浮かんできました。

前回通信では「人間という動物は人間という制約から離脱したいと
いう欲望を持つ動物である。」と書きました。
しかし、その考え方は間違いではないかという気がしてきたのです。

「狂人」が現代のように否定的に取り扱われてこなかったということ
は、それがいつの時代からか、その原因は何かということに議論はあ
るものの、まったく疑いのないことです。
そして、憑依とか、神懸かりとか、シャーマンとか、「狂人」が超越的
存在との接点を持つ者としてむしろ積極的に評価されていた時代、社
会があったことも確かなことです。

そして、それもまた歴史の一過程にすぎず、「狂人」という特別なジャ
ンルなどなく、人々がすべて現代の目から見れば「狂人」であった時代、
各人の「狂気」が何らの制約もなく表出されていた時代があったのでは
ないか、というのが私の推測なのです。

文化・文明の成立により「狂気」の制約なき表出が許されなくなり、あ
る時代には一部のその制約を破る人が神に近い人として一定の評価
を受け、その後社会が世俗化することによって神との関係という評価
の成立が不可能となり、「狂人」という否定的存在として蔑まされること
になったのではないかと思うのです。

「人間という制約から離脱したいという欲望」という場合の「人間とい
う制約」とは、「狂気」の自由な表出は許されないという「制約」のことで
あり、そこから離脱したいという欲望は人類に普遍的なものではなく、
「狂気」の自由な表出を許されない時代において発生した欲望ではない
かと思うのです。

そうなりますと、「芸術」も「宗教」もその普遍性を失い、「狂気」の自由
な表出を許されない文化・文明の社会にのみ存在する特殊歴史的なも
のということになります。