2001年9月12日

更に前回の続きです。

「芸術」が究極的には人間と超越的存在・神との関係あるいは人間と
他の動物・存在との関係を取り扱っているという意味において「宗教」「
哲学」と接点を持つこと、あるいは「宗教」「哲学」そのものであるともい
えるということは、さかのぼって、普遍性を目指すという究極の段階に
至っていない「芸術」に対してもその影響を及ぼしていると考えられます。

いや、むしろ普遍性を目指すという段階に至っていない「芸術」におい
ても、その段階から「宗教」「哲学」に至る萌芽をすでに持っているという
べきかもしれません。

すなわち、芸術表現というものは、音、色、形、言葉が「人並みはずれ
た」「神わざのような」テクニックによって操作されることによって芸術とさ
れているのであって、それなくして芸術のメッセージというものはありえま
せん。
音、色、形、言葉の「超人的」駆使という手段によって「芸術」は、そのプ
リミティブな段階から「日常性」に埋没している一般人を攻撃しています。

「芸術」の本質である「日常性」に対する攻撃とは「非日常性」の提供と
いうことであり、「非日常性」の提供は「非日常人」によって行われてこそ
効果的であるはずであり、そもそも「芸術」は「普通の人間」に対する「超
人」の攻撃という性格を持っているのです。


そして、人間と超越的存在・神との関係あるいは人間と他の動物・存在
との関係についての「常識」の基礎となっている「(普通の)人間であること」
の観念を揺らがせるものこそ「超人」の存在そのものなのです。