2001年10月1日

論語に「子、怪力乱神を語らず」という言葉があります。
「孔子先生が怪異、暴力、乱逆、鬼神について講釈されたことはなか
った。」ということで、非合理、神秘、異端、狂気等を遠ざけようとする「
儒教合理主義」の立場をこの言葉は象徴的に表わしていると考えられ
ます。

儒教の世界では、私の知るかぎり、女性の有名な思想家、実践家が
いません。

儒教の中の合理主義というものが、非合理、神秘、異端、狂気等を
含む人間原理をすべてカバーできていないがゆえに、より広い人間原
理を体得している女性の直感がこれを受け入れないためでしょうか、そ
れとも儒教の中の男尊女卑的傾向が女性の感情的反発を呼ぶためで
しょうか。

いずれにしろ、合理主義というものに対する信頼は、現在大きく揺ら
いでいます。
非人間的結果をもたらす科学技術に対する不信、合理主義がもたら
す人間への抑圧による社会的病理現象の多発など枚挙にいとまがあ
りません。

現代文明を深く支配している合理主義の限界を突破するには、「子、
語らず」とされた「怪力乱神」を語らざるをえずというのが現在の状況と
いえましょう。

なお、「君子、危うきに近寄らず」という言葉の「危うき」とは非合理、神
秘、異端、狂気等のことであり、「怪力乱神を語らず」と同義の中国起源
の言葉だと思っていましたが、この言葉は漢籍にはないそうで、我が国
で作られた言葉であり、その意味に特別の内容はないようです。