2001年10月5日

「涙には対象との関係の確認が強調され、笑いの場合には対象との
関係の拒絶が力説される。」
民俗学者谷川健一の「魔の系譜」の「狂笑の論理」という章での言葉
です。

たしかに「泣きくどく」という言葉があるように、「泣く」ということには相
手への訴え、相手への依存があります。
一方、「笑い飛ばす」という言葉があるように、「笑う」ということには、
相手の突き放し、相手からの独立があります。

「ひとり泣き」の場合は、泣かれる相手は他者ではなく自分自身です
が、そこには自己憐憫があり、自己を許すという態度があり、自己への
甘えがあります。
一方、「ひとり笑い」の場合(笑いの対象が自分自身の場合)には、自
己を客観化し、自己を断罪するという自己への厳しい態度があります。

「他者を見て泣く」という場合には、他者と同一化し、他者に感情移入
して泣きます。
「他者を見て笑う」という場合には、まさに他者を他者として笑うだけで、
他者との同一化、感情移入という過程はありません。

谷川の同書によれば、ボードレールは笑いが共感の拒絶であり、同
情の欠如であることから笑いは悪魔的であると指摘し、逆にニーチェは
イエスが笑わなかったのは人生を対象化して眺めるには若すぎたから
だと非難したのだそうです。

泣くにしろ、泣かないにしろ、笑うにしろ、笑わないにしろ、以上のよう
な「泣き」「笑い」の性質分析によって、われわれ自身の具体的ケースを
自己分析してみる価値はあるでしょう。