2001年11月6日

半藤一利氏によれば、司馬遼太郎は自身の最も代表的な作品であ
る「坂の上の雲」のテレビ化、映画化を何があろうとも許さないと遺言
しているそうです。(NHK教育TV「人間講座・清張さんと司馬さん」)

その理由として、半藤氏は、この作品が明治の大日本帝国建設を明
るく、さわやかに、誇るべきものとして書かれたという誤読(それを避け
るのは困難な気がしますが)を、司馬遼太郎が懸念したからであるとし
ています。

そのことに同意するとして、半藤氏が、司馬遼太郎の問題意識として、
日露戦争の幸運な「勝利」によってそれまでの合理的精神が奪われ、そ
の後の帝国陸軍の無謀な精神主義につながったという点を上げている
のに対して、私は、司馬遼太郎が知らなかったはずのない、しかし触れ
ることのなかったもう一点を考えてみたいと思います。

「坂の上の雲」の主人公は、秋山好古、真之というそれぞれ陸軍、海軍
の高官となった愛媛県出身の兄弟ですが、弟の真之はその後、戦前に
不敬罪で弾圧された新興宗教「大本教(おおもときょう)」の信者になって
いるのです。

極貧、大酒飲み、今のはやりで言えばDVの大工、その妻であった出口
なおが、ある日突然「うしとらの金神」という神様の神懸りになり、かんなく
ずに神の託宣を書き始め、それを娘婿の出口王仁三郎が一般に広めた
というのが「大本教」です。

この「大本教」は、当時の知識層にも相当広まり、海軍の中にも勢力を
持つに及んで、支配層の危機感が強まって大弾圧事件に至ったといわれ
ています。

「大日本帝国」はその中枢の海軍高官にまで精神的空白を生ぜしめ、
あるいは精神的空白を埋めることができなかったということ、そのことを
司馬遼太郎は知っていた、しかしそれはあまりにも現在の問題でもあり、
小説においてそれを処理することができなかった、その思いが司馬遼太
郎のテレビ化、映画化拒否の遺言の背景にあるのではないか、これが私
の大胆な仮説です。