2011年8月13日

 この12月に長寿ドラマ「水戸黄門」が終了するそうです。
 それを知って、「水戸黄門」について文章を書いたことがあるのを思い出し、探したら見つかりました。
 発見した場所からして、書いたのは四半世紀前になるでしょう。
 その当時の黄門は東野英次郎だったでしょうか、西村晃に代わっていたでしょうか。



「 『昨日発生した小さな暴力的逸脱について』

 テレビドラマが多いとはいえ、毎週月曜日夜8時からの「水戸黄門」ほど、毎回毎回ワンパターンのドラマはないであろう。

 悪い商人と正直な庶民がいる。悪い商人は正直な庶民をいじめて儲けようとする。悪い商人の後ろには必ず悪い役人がいる。悪い役人は女と金が好きで、そのために悪い商人の注文に応ずる。正直な庶民の側にも、博打が好きで、悪い商人に借金をするなどの弱みのある人間がいたりする。悪い商人は、弱みのある人間を利用するなどし、悪い役人を後ろ盾にして悪だくみをする。その悪だくみを水戸黄門一行が察知して、悪者たちを懲らしめる。

 この勧善懲悪のドラマは、現代の日本人の素朴な倫理観、正義感を反映させているものであり、子どもたちに基本的な正義感を育むものとして、私は積極的に見せることにしている。
 また、このドラマは、一般の人たちが、商人、役人に対して持っているイメージを反映しているものと思われ、このような観点から、反省しつつこのドラマを見るという面白さもある。

 私は、このドラマを「味噌汁的ドラマ」と名づけている。
 すなわち、一品料理としては高い評価はできないレベルの低いものである。が、高級料理ではないけれども、食べ慣れていて、毎回毎回少しだけ微妙に味が変わる味噌汁のように考えれば、それなりの面白味が出てくるドラマなのである。

 さて、ドラマの最終段階で、悪者たちと黄門一行のチャンバラが、「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」という黄門の言葉によって始まる。そして、「助さん、格さん、もういいでしょう」という黄門の言葉で、チャンバラは終わる。
 このあたりは、ほぼ完全なるワンパターンである。演じる俳優たちも飽きるのではないかと思うが、毎回正直に繰り返される。
 昨日、いつものとおり、黄門は「助さん、格さん、もういいでしょう」と叫んだ。これでチャンバラは終わりのはずである。しかし、昨日の場合、黄門の指示が出た直後、助さんがひとりを刀で切り倒すワンショットが出たのである。
 私は、これに気づき、子どもたちに「あれはおかしい」と指摘した。子どもたちは「みねうちだからいいんだ」と苦しい答弁を返してきた。

 このように、製作者の意図せざる絶妙な味が出ることがあるのも、味噌汁の良さではないだろうか。  」