2001年11月26日

おそらく、そして専門の学者が厳密にこのことを考察していると思
われますが、宗教というものは二つの要素に分けられるのではない
かと思います。

一つは、宇宙観、世界観そしてその中での人間の位置づけ。(以
下、まとめて宇宙観・世界観とします。)。
例えば、天国とか地獄とかのあの世を含む世界があって、その世
界は唯一神が創造したものであり、人間は地上において神の国を実
現すべく特別に唯一神によって造られたものである、などという内容
です。

もう一つは、倫理・道徳。
先の内容が世界あるいは世界の創造者と人間との関係を規定す
るものであるのに対し、人間同士の関係のあるべき姿を規定する内
容です。

多くの日本人は、宗教というものはおどろおどろしいもの、非合理
的なもの、「怪力乱神」の世界、と考える傾向が強いようですが、問題

は次のような点にあります。

すなわち、人間社会にとって必要な倫理・道徳が、宗教の要素であ
る世界観・宇宙観なしで正当化できるのか、という問題です。
「なになにをなすべきである」あるいは「なになにをなすべきではない
」ということからなる倫理・道徳について、「なぜ?」という問いを浴びせ
られ続けたとき、世界観・宇宙観なしで「それはなになにゆえである」と
最後まで答えうるのか、という問題です。

宗教の二つの要素のうちの世界観・宇宙観は、近代科学の諸成果
によって大きなダメージを受けました。そのことに気づいている宗教側
からの反応は、自分たちの世界観・宇宙観は近代科学とは矛盾しない
という苦しい弁明に終始しているという印象をぬぐいきれません。苦し
まぎれに近代科学を全否定する狂信的反応もまた存在します。

宗教がそのような状態である限り、釈迦、キリスト、マホメットに次ぐ
誰かが登場するまで、倫理・道徳は宙ぶらりんの状態を余儀なくされる
ということではないでしょうか。この場合、宙ぶらりんの状態を我々は我
慢するほかないのではないでしょうか。宙ぶらりんの状態を一時しのぎ
のバンソウコウでつないでおこうというインチキには要注意です。

(以上のようなへ理屈は、すでに、どこかで、だれかによって超えられ
ているようでもあるのですが、雑学レベルでは到底及びようもありま
せん。)