2001年12月11日

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教が一方にあり、
天体も地形も樹木も動物も何でも神にしてしまう多神教が一方にあ
ります。
一神教側は多神教を知的な洗練のない迷信にみちみちた邪悪な
宗教と馬鹿にし、多神教側は一神教をかたくなな妥協を許さない非
人間的な宗教であると非難します。
対立しつつ、ともに人類の知的生産物であるこの二つのタイプの
宗教には、今後の大統合を可能とする共通の基盤があるのではな
いかと思われます。

そのキーワードは「秩序」です。

一神教は、世界には「秩序」があるとの認識のもとで、その「秩序」
を創造した者(があるとして、その者)に対する信仰です。
多神教も、世界には「秩序」があるとの認識のもとに(そのカバーす
る「秩序」の範囲は一神教のそれには一般的には及ばないものの)、
その秩序を象徴する物への信仰です。

人類は、本能という行動指針を失った特異な動物で、行動指針が
成立しない「混沌」には耐えられずに気が狂ってしまうのであり、行動
指針が成立する「秩序」の存在はそれこそかけがえのないものなので
す。

天と地、昼と夜、四季から最新の自然法則の知見まで、「秩序」の存
在の認識が人類を狂気から救ってきたのでした。
「秩序」によって救われているという感覚、「秩序」への賛嘆に、タイプ
は違うものの宗教の成立の契機があったのではないかと考えられるの
です。

カルトとか新興宗教とか既存宗教の革新運動などが、旧来の社会の
「秩序」の崩壊時に盛んに発生するという事実は、このことの傍証になる
と考えられます。