2001年12月19日
山田風太郎の「あと千回の晩飯」に次のような文章があります。
「 いまやいろいろと老人病を発しつつある身体に、首吊りの足を
ひっぱるように……その首吊りは私自身だからこの形容はおか
しいが……盛大にたばこをのみ、酒を飲んでいるのは、どこか長
生きしたくない望みがあるせいじゃないかと思われるのである。」
「 私に『あの世』への親近感などない。それはないが『この世』へ
の違和感ならある。いわゆる『厭世観』というやつか。ただし、ほ
んのちょっぴりとだが。
ほんのちょっぴりとだが、この深層心理が私に平然とたばこを
のませ、大酒を飲ませる原動力になっているようだ。」
この文章は、石堂淑郎の、たぶんその題名からしてバブル崩壊
の直前の時期に書かれた「一日千秋の思いで待つ『兜町大暴落』」
というエッセイを思い出させてくれました。
そこには、「それにしても、昭和ヒトケタ前後の友人の死の何と早
きぞ」として、寺山修司をはじめ死んだ友人の名前とその死因を(肝
不全)(胃癌)(心不全)(肝不全)(胃潰瘍)と括弧書きで上げた後に、次
のような文章があります。
「 言えるのは、括弧書きの死因は仮のもの、実は全員緩慢なる自
殺、が真の死因ということである。
彼らは一人の例外なく、早期検診を怠り、病名が決っても絶対に
療養生活に入ろうとしなかった。生への執着心がどこか希薄であっ
た。離魂病にとりつかれていた。」(この場合、離魂病とは死に向う
心的傾向のもよう。注)
「緩慢なる自殺」という心理は、たぶん男性、特にインテリ男性のも
のでしょう。
女性とちがって宇宙原理を体感できず、手応えのない観念をもてあ
そぶという傾向が、この心理をもたらす原因だと思われます。