2001年12月26日
2001年9月11日の同時多発テロが、何といっても今の時代、
これからの時代を万人に認識させる象徴的な事件でした。
すでに指摘されているように、1973年の同じ9月11日、アメリ
カの支援のもとで、チリの大統領官邸にチリ空軍機の攻撃が行わ
れ、アジェンデ社会主義政権は軍事クーデターにより崩壊、その後
のピノチェト政権のもとで数十万といわれる学生、市民が拘束、拷
問され、数千人が虐殺されました。
同時多発テロに対し、その当不当、正義か悪かを論じる資格は、
チリ軍事クーデターを仕組んだアメリカのみならず、そのことを知っ
ていながら放置していた国際社会は果たして持っているのか疑問
とせざるをえません。
さて、20世紀を資本主義と社会主義との戦いの世紀とすれば、
現実の体制としての社会主義が崩壊した後の21世紀は、どのよう
な世紀となるのでしょうか?
ロシア、中国をも巻き込み文字どおり世界資本主義となった資本
主義体制とそれが依拠する旧来の文化的枠組、これに対しそのよう
な体制に組み込まれることを拒否する人々、その間での戦いの世紀
と21世紀はなるでしょう。
イスラム原理運動のような意識的、組織的運動から、女性たちの
旧来型の家族の形成を忌避する傾向、子供たちの社会参加を躊躇
する傾向などの無意識的、個別的反抗に至るまで、世界資本主義と
その文化はあらゆる局面での対抗に直面するでしょう。
「ヒューマニズム」という看板に依拠してきた環境重視派も、平和主
義者も、人権擁護派も、この21世紀の戦いにおいてどちらの立場に
立つかという選択を余儀なくされることになるでしょう。
その際、これまでの「幸福観」が無効であり、自分の善意とか良心と
かに安易に依存することができないことを思い知らされることになるで
しょう。
マスコミから提供される「常識」がどちらの立場からの「常識」なのか
を絶えず警戒し続けなければならなくなるでしょう。
友人は同意見、隣人は同意見という予想は成立しなくなるでしょう。
20世紀の資本主義と社会主義の戦いは、どちらのシステムの物質
的生産性が高いかという同じ土俵の上での戦いでした。(思想としての
社会主義には他の要素もあったのですが……)
21世紀の戦いにおいては、その共通の土俵は失われ、相撲をやっ
ているのかレスリングをやっているのか、サッカーをやっているのかラ
グビーをやっているのか、極めて分かりにくい状態となるでしょう。