2011年7月18日
京都、栂尾高山寺の明恵上人は貞永元年(1232年)正月19日に60歳で亡くなっています。
「明恵上人伝記」のその正月の記述に次のような下りがあります。
「或る時、上人語りて云はく、『…………此の《空》の故には《無常》を取り殺して、其の後にこそ我は死なんずる。《無常》には取り殺さるまじきなり』と戯れ給ふ。」
仏教の深い叡智を求めて修行してきた結果、《空》という道理を得たからには、その道理に従って《無常》を克服した上で自分は死ぬこととしたい。《無常》を克服できぬまま、《無常》に打ちひしがれて死んでしまうようなことにはなりたくない。……というのです。
明恵上人は入滅直前において自分は《無常》を克服しえていないと告白したことになります。
この重大発言に対して、伝記作者はその重大性を伝え残しておかなければならないとは思いつつ、その意味するところのあまりにも大きなことに気づいたがゆえに、「戯れ給ふ」としておくほかなかったのでしょう。
当代随一の仏教知識を備え、数々の難行苦行を重ね、様々な神秘的エピソードに取り巻かれていた明恵上人、時の鎌倉幕府執権北条泰時と深く交流し、大きな影響を与えた名僧・明恵上人が、自分は《無常》を克服できていないと告白したのです。
仏教の存在価値を揺るがせかねない重大発言ということになりましょう。
《無常》というと仏教的感じが強い言葉になりますが、仏教臭を取り除けば、それは「無秩序」「無法則」ということでしょう。
そして、人間中心的な考え方からすれば、《無常》とは、この世は、この宇宙自然は、決して人間に優しい秩序・法則のある世界ではないということを意味することになります。
この冷厳なる客観的事実《無常》を自分は心穏やかに受容できないと、明恵上人は言ったのです。
幼少時から一貫して仏教に帰依し、人を何層倍する修行を重ねてきたが、受容できる状態になってはいないのだ、すなわち涅槃、悟りといった境地から自分は遠いと言ったのです。
明恵上人とは、何という人間的な、正直な、そして謙虚なお坊さんでしょう。
「我ハ法師道ニオチテ苦ヲウクルナリ」「我は後世たすからんと云ふ者にあらず。ただ現世にまずあるべきようにあらんと云ふ者なり」という言葉もあります。
先日、NHK教育テレビ「こころの時代」に登場した短歌絶叫ライブの法昌寺住職福島泰樹氏の「人は未完で死んでいく、無念も捨てたもんじゃない」という言葉、その言葉が意味する人間はそれでこそ人間なのだというメッセージ、そしてビッグ・バン宇宙論のホーキング博士の宇宙消滅必然、すなわち人類必滅に対する感想――人間にpityを感じる――が思い出されます。