2002年1月25日

NHK教育テレビで作家辺見庸とイランの映画監督マフマルバフとの
「アフガニスタンをめぐる対話」が放映されました。

ふたりが良質の「ヒューマニズム」を共有しているゆえに対話は成立
し、アフガニスタンに対する国際社会のこれまでの対応、アメリカの報
復爆撃、善と悪という単純二項対立社会観への批判など多くの点で見
解の一致が見られました。

しかし、冒頭の話題であり、その後の対話のために深く追及されな
かったのですが、アフガニスタンの女性が頭からかぶっている「ブルカ
」についてふたりの評価は対立するものでした。

辺見は「ブルカ」を文化の一つのバリエーションととらえることができ
ないかと問題提起し、マフマルバフは「ブルカ」は牢獄のようなものだと
し、女性抑圧の象徴として辺見の問題提起を退けたのです。

この対立には容易に解きがたい、むずかしい問題がはらまれていま
す。
すなわち、一方に、世界の様々な民族、地域、宗教ごとの文化の違
いをそれぞれ尊重していこうとする文化多元主義、あるいは文化の違
いに優劣、先進・後進の差はないとする文化相対主義があります。そし
て、一方に、マクドナルド・ディズニーランド文化帝国主義は極端として
も、「ヒューマニズム」の立場から生じる一定の文化許容水準(食人文化
は許容しがたい)というものがあります。
この対立を調整する原理を我々は持っていないのです。

「選択の自由」というのが予想される一つの調整原理です。
しかし、「自由な選択」というのも、実は伝統、教育、マスメディア情報
などに規定されるものであって、実際に純粋な「自由な選択」は存在す
るものではありません。

「押し付けないで会話する」という方法で、極端に振れることを防止す
るという対応しか当面はないのかもしれません。

「ブルカ」問題は解けず、また我々日本人は「鯨食文化」の問題を抱え
ています。