2002年1月30日

「地域通貨」というものが地域振興の手段としてあるいはボラン
ティア活動促進のための手段として、このところ各地で盛んに発行
されるようになっています。
例えば、京都の「キョートレッツ」、多摩ニュータウンの「COMO」、
南信州の「ダニー」、北海道栗山町の「エコマネー」等々、枚挙にい
とまがありません。

「お金とは何か?」に対する答えは「みんながお金と思うもの」とす
るほかないのではないかというくらい経済学でも通貨の本質は難問
中の難問で、「地域通貨」が「通貨」たりうるかを厳密に検証すればい
ろいろ問題があるのではないかと思われます。

しかしながら、「地域通貨」発行の運動はますます盛んになる様子
であり、マスコミの評価も一致して好意的なものとなっています。

既存の通貨、要するに「円」があるのに、なぜ「地域通貨」がこのよ
うにもてはやされるのでしょうか。

そもそも労働サービスの提供(例えば「母さん、お肩をたたきましょ」
とか、家族のための食事作りとか、村祭りの準備参加とか)、労働生産
物の提供(隣へおかずのおすそ分けとか、手編みのセーターのプレゼ
ントとか)というものは、極めて具体的人間的な営みであり、かつては人
間関係の多くの部分がこれらによって形成されていたはずです。
この人間臭い営みを国の規模とか世界の規模で効率的に行おうとす
ると中央政府発行の「通貨」が使用されるようになります。
そして、結果として、労働サービスの提供とか労働生産物の提供とい
う営みから人間臭さが取り除かれて、人間関係が「マネー」の関係に変
質させられてしまいます。

「地域通貨」というのは、中央政府発行の「通貨」により脱臭されてしま
った労働サービスの提供、労働生産物の提供を通じた人間関係に人間
臭さを回復しようとする運動なのではないでしょうか。

こう考えますと、各地で取り組まれている「地域通貨」にはそれぞれの
臭いがあるように思えますし、臭いがなくなることが「地域通貨」の失敗を
意味することも分かってきます。