2002年1月31日

夏目金之助は漱石、森林太郎は鴎外、永井壮吉は荷風と、あの時代
の文人は「号」というものを持っていました。
その「号」によって自分の趣味、主張、態度といったものを表わしていた
のです。
漱石は、石で口すすぐという意味で自分を頑固者としていたとか、鴎外
は知りませんが、荷風の「荷」は「蓮」の意味でたぶん風にそよぐ蓮という
情景を表わしているなどです。

あの福沢諭吉の「号」は雪池でした。
これも情景かと思いつつ、読み方を考えていたところ、これは「ユキチ」
と読むのであり、「諭吉」の単なる語呂合わせであることに気づきました。
西欧化論者の福沢諭吉は、たぶん中国起源であろう「号」を単なる語呂
合わせにすることで、東洋文化に対する冷ややかな態度を表わしていた
のだと推測されます。
「雪池」それ自体は無意味でも、結局「号」に主張ははらまれていたので
した。