あの小沢昭一センセイの「ぼくの浅草案内」(ちくま文庫)では、浅草にとどまらず隅田川を渡って向島の案内に至り、そこに次のような記述があります。

 「 白鬚神社
   祭神は猿田彦命。古い古い社である。猿田彦は外来の神で、朝鮮からの渡来神
なのだそうだ。
   金達寿さんは、白鬚は朝鮮語のクナルから来たもので、クナルはクンラ、クダ
ラ(大国、百済)と同じ意味だと、一連の『日本の中の朝鮮文化』研究で述べている。」



 さて、「白鬚(シラヒゲ)」から「クナル」がどのように導かれるのか?
 漢和辞典なども引いていろいろ考えてみましたが、「白鬚」から「クナル」には至りそうもありません。

 突然、「白鬚」は「シラギ」ではないかと思い付きました。
 調べてみたら、「白鬚神社」は滋賀県高島市の「白鬚神社」を本社として全国に多数あり、「白髪神社」(シラガミ神社、シラガ神社)もあり、「白木神社」、また「白木」の地名は全国にそれこそ山のようにあるのです。
 そして、白木神社の祭神はスサノオノミコトですが、いずれも渡来人に因む神社であり、集落名と考えられるのです。
 小沢センセイ、「白鬚神社」に渡来人の影を見たのは正解でしたが、新羅でなく百済のほうに行ったのはやや早トチリだったのではないでしょうか。

 なお、先の記述に続いて小沢センセイは次のように話を展開しています。

 「 武蔵の国一帯も、古くから渡来民が住んでいた。観音サマを網ですくったといわれる檜前(ヒノクマ)氏一族も、実は大和の飛鳥から出た、坂上田村麻呂とも同族の渡来民の末裔であった。だから浅草観音仏も、彼等の持ち来った渡来仏なのであろうという説には説得力がある。」

 観音様を網ですくったというのが檜前氏一族、そしてその観音様を祀って自宅を寺としたのは土地の郷司・土師中知ですが、この土師(ハジ)氏は埴輪を発明し、古墳作り、朝廷の葬送儀礼にも携わったというレッキとした渡来民です。
 あの雷門の浅草寺が渡来民起源であるというのはかなり有力な説に思われるのです。

浅草には外国人観光客が多く、韓国からの人も多数と思われますが、彼らはそれを知っているのでしょうか。

 さて、帰化人、渡来人というと我々は、自分たちは原日本人(これまた極めてアイマイな概念ですが)であり、帰化人、渡来人は自分たちとは別の人のように考えがちですが、我々こそ先住民を駆逐した帰化人、渡来人の末裔なのです。
 中にはそういう考え方に反発する向きもあるのですが、それは明治以降のナショナリズム形成教育のなせる技ということなのだと思います。