2002年2月21日

永井荷風は、太平洋戦争中の中断期を除き、死後現在に至るも
人気衰えるところなしという文壇の巨匠です。文化勲章ももらってい
るし、芸術院会員にもなっています。
しかし、その淫行ははなはだしく、「つれづれなるあまり余が帰朝
以来馴染を重ねたる女を左に列記すべし」として荷風が日記にその
姓名、略歴を書いた同棲乃至深く関係した女性の数だけでも16名
(帰朝が明治41年、日記を書いたのが昭和11年(当時荷風57歳)
その間28年)、その多くを小説のモデルとして読者に愛惜の情をそ
そりながら、彼女たちと別れた後はまったくひとかけらの面倒もみて
いないという冷徹さです。警察沙汰になった別れ話もあり、彼に名声
と金と事をおさめる友人がなければ荷風は社会から放逐されていた
でしょう。

そのような荷風の実生活における女性に対する態度が私小説的
色彩の濃い彼の作品に何らかの歪みとして(それが小説の魅力をな
していることも考えられます)反映しないはずはないと考えられます。
しかし、男性作家・評論家は、ほぼ荷風絶賛のようであり、例外は
小島政二郎が女性観に欠けるところありと批評したため荷風と仲が
悪くなったという話があるくらいです。
上野千鶴子著「文学を社会学する」、その著者と書名に期待しまし
たが、荷風は残念ながら取り上げていなかったと記憶しています。
(吉行淳之介は相当やられていました。)

フェミニズムにしろ、その他男女関係を対象とする諸学が荷風を
、また荷風評論をめぐる状況及び読者(私もそのひとり)の側の問題
を、私が知らないだけなのかもしれませんが、取り上げないのは、
男女関係についての議論を進展させる上で極めてもったいないと思
われます。