2002年2月25日

「幻の漂泊民・サンカ」を読み了え、その著者沖浦和光に以下の
ような手紙を書きましたので披露します。

いつの頃か忘れましたが、母親から三角寛の「山窩小説」を教え
られ、それは読みませんでしたが山岳非定住民の存在をかすかに
感じ、五木寛之の「風の王国」を読み、宮崎出身の職場の人から子
供時代(太平洋戦争前後のはず)に山のほうに煙が上がっていると
きに「あの人たちがまた来た」と語っていたという話を実際に聞き、
御著書にある3つのサンカ起源論のうち柳田国男想定の日本列島
先住民の末裔ではないかというロマンティックな思いを持っておりま
した。
御著書により、サンカの起源が幕末の飢饉続発期に発生した難
民であることを残念ながら承認せざるをえません。
ただ1点のみ、申し上げたいと思います。
それは御著書から明らかと思われるにもかかわらず、そこで明確
に言及されていないため、なおサンカについての誤解を維持してしま
うのではないかという問題です。
すなわち、御著書のとおりサンカは漂泊民とはいうものの季節的既
定ルート回遊民であることからすれば、回遊不能の冬季には一定の
定着地を持っていたはずであり、それがボロ小屋でしかなかったとし
ても、そこにおいて行政の把握するところとなっていた可能性があり、
回遊先における行政がサンカを把握できなかっただけではないか、
回遊先でのみ「幻」であっただけではないかということです。
「一所不住」「一畝不耕」という言葉がサンカを表わす言葉として間
違ってはいないものの、それを漂泊民、しかも「幻の漂泊民」としてし
まうことは、純然たる漂泊民ではなく冬季定住・季節的既定ルート回
遊民であるサンカに誤ったイメージを与えてしまうのではないでしょう
か。