2002年3月18日

鈴木宗男のおかげ(?)で北方領土問題があらためて世間の注目
を浴びました。
北方領土問題について人々に十分知らされていない事実を紹介し
ておきましょう。
その事実を指摘しているのは、かつてオーストラリアの外交官であ
り、その後ジャーナリストに転じ、現在なぜか多摩大学長になって教
育問題を論じているグレゴリー・クラークです。

北方4島はロシア(当時ソ連)の不法占領であるというのが、日本政
府の公式的立場ですが、そこにはアメリカが絡んでいるというのがグ
レゴリー・クラークの指摘です。

1943年のヤルタ会談での対日戦後処理の原則は、日本が武力
で奪取した領土は返還させるというものでした。
この原則に立てば、北方4島は対象にならないはずなのですが、早
期終戦のためソ連の対日参戦を強く望んでいたアメリカは、ヤルタ会
談において、千島列島の歴史に詳しくなかったということもあり、千島
列島全島をソ連に与える約束をしてしまったというのです。
そして、日本敗戦後の1951年のサンフランシスコ講和条約におい
て、当時の吉田首相の抵抗にもかかわらず、アメリカは千島列島全島
の日本の「権限及び請求権」放棄をむりやりのませたというのです。
その背景には米ソによるヨーロッパの東西分割が絡んでいたようで
す。そして、吉田首相、外務省条約局長は、そのことを不当としつつ、
条約上の国後、エトロフ両島の放棄を認めているのです。

更に次のような展開があります。
1955年の日ソ国交回復交渉において、歯舞、色丹については、平
和条約締結後の返還が約束されたため、(歯舞、色丹についてはサン
フランシスコ講和条約で日本が放棄した「千島列島」に含まれるか否か、
疑義がありました。)日本政府は、サンフランシスコ講和条約を調印して
いる以上、国後、エトロフの返還要求は困難と考え、断念しようとしたの
ですが、今度はアメリカが日本の反ソ態度を固定化するためには北方
領土問題が未解決の状態で維持されることが望ましいという政治的判
断のもとで、言うことを聞かなければ沖縄を永久に返還しないぞという
脅しを使って、日本が国後、エトロフの返還要求を断念するのを認めな
かったというのです。

北方4島返還がライフワークと語る鈴木宗男は、このことを知ってい
たのでしょうか?
知っていたとすれば、国後、エトロフの返還のためには、サンフラン
シスコ講和条約の誤りを是正するための対米交渉こそ、主張されるべ
きだったと思われるのですが………

なお、以上の話とは直接関係はありませんが、私は1979年、国後
島沖12海里の領海ぎりぎりの海域を航行し、ロシア国境警備隊の双
発プロペラ機の威嚇低空飛行を受けた経験があります。