2002年4月8日

 前回の続きです。
今回は問いを「西欧的民主主義は人々に真の幸福をもたらすか?」と立てて
みましょう。

私の答えは「たぶん否」です。

西欧的民主主義は、利害調整の方法としてすぐれているのですが、利害調整
の方法であるがゆえに利害の存在に対して無批判的であり、利害を超越する契
機をもっていません。「力と精力と健康と生の無際限な拡張」(M・フーコー)を目指
すものであって、物質的に豊かであれば豊かであるほどベターであるというイデオ
ロギーが前提になっています。
その結果、精神的価値、「魂のこと」がおろそかにされる傾向があると考えられ
ます。

同じようなことですが、西欧的民主主義は、「生のエネルギー」と「生のエネル
ギー」のぶつかり合いを調整するシステムであり(資本主義市場経済にとって「生
のエネルギー」がないようなものは問題外です)、それゆえに「生」を無前提に肯
定的に取り扱うため、人間にとって不可避の問題である「死」の問題を原理的に
取り扱いにくい面を持っています。

西欧的民主主義は、個人の重視を前提としており、それゆえ人権の尊重とい
う大事な原則をもたらすのですが、そのため一方で人間の高慢を許してしまいが
ちです。その高慢が環境問題、生命倫理問題、核開発競争問題などを引き起こ
すことになります。

また、個人の重視は、自己責任を強く求めることになり、その結果ひとりひとり
の人間の孤立化をもたらしやすく、本来「群れるもの」である人間に共同体の重
要性を忘れさせ、共同体を基盤とする非西欧的伝統社会の文化を軽視すること
になります。

思いつくだけで以上のような問題を西欧的民主主義ははらんでいます。

しかし、西欧的民主主義の対立概念である専制政治、アジア的権威主義的政
治がこれらの問題を克服しているのか、克服する可能性を持っているのか、と考
えてみますと、その答えも「たぶん否」です。

西欧的民主主義は、そのはらんでいる問題から人類にはるかな遠回りの道を
余儀なくさせるかもしれません。しかし、人類に王道があるとすれば、「ヒューマニ
ズム」をその基礎に置く西欧的民主主義は他の政治システムに比べて少ない犠
牲によって人類を王道に至らせる可能性を持っているのではないかと思われます。
釈迦は、シャカ族の王子として、物質的繁栄と自由な思考の中から生まれ出て
きたのです。

「アジア的特殊」の主張の代表としてたまたま山折哲雄を取り上げて、山折にと
ってはとんだ迷惑だったかもしれませんが、迷惑のかけついでに最後に象徴的に
言わせてもらえれば、私は山折哲雄を採らず、アマルティア・センに軍配を上げる
のです。