2002年4月1日

「 インドは人口10億を超す大国である。その領土は日本のほぼ
9倍にあたる。そのうえ長い植民地時代の歴史を考えれば、イン
ドを西欧近代に発する「デモクラシー」の枠組だけでとらえようとす
ることがどだい無理なのだ。近代的な国家をつくろうとしたネルー
にたいして、そんな国家などいらぬ、といったガンディーの言葉が
途方もなく重いのはそのためなのである。」(山折哲雄「愛欲の精神
史」)

「 20世紀は数々の発展を成し遂げました。しかし、その中で最も際
立っているのは、民主主義の台頭であると迷わず言い切ることがで
きるでしょう。この結論はそれ以外の出来事の重要性を否定するも
のではありません。しかしながら、もしも遠い将来に人々が20世紀
に起こったことを振り返るならば、その人々も迷うことなく最高の統
治形態である民主主義の出現こそ、20世紀の最もすばらしい発展
であると考えることでしょう。」(アマルティア・セン「貧困の克服」)

我々は、西欧的近代化の道を歩んだアジア人として、上記の2つの
立場、すなわち「アジア的特殊」を主張する立場と「民主主義の普遍」
を主張する立場のどちらに軍配を上げるのか、という問いに対してアジ
アの人々に答えるべき立場にあります。。

まず、前提として2,3申し上げておきましょう。
山折哲雄は、時事問題にも活発な発言をしている、主として仏教をそ
の対象としている宗教学者です。
前記の山折の主張とは違う観点からの主張ですが、シンガポールの
元首相リー・クアン・ユーが国家の経済発展という観点から同じような主
張をしています。中国の江沢民もおそらく同じことを考えているでしょう。
国家が強い権力のもとで経済発展を主導したことを日本の明治期の発
展の主たる理由とする日本人も同じようなことを主張するでしょう。
一方、対立する主張のアマルティア・センは、昨年のノーベル経済学
賞を受けたインド人です。
彼は日本の明治期の発展について、基礎教育が重視され、人々が十
分な食糧を得られる資質や経済能力を獲得していたこと等をその重要な
要因として上げています。そして、彼はそのような条件を人々が獲得する
ために民主主義が基本的役割を果たすことを強調しています。
ミャンマーのアウンサン・スーチー女史を支持するか、現在の軍事政権
を許容するかという問題は、まさに象徴的であって、上記2つの立場のど
ちらをとるかで決まってくるでしょう。

さて、我々はどちらの立場に立つべきか、字数の関係上、それについ
ての私の考えは次回で、ということにさせていただきます。