2002年4月25日
母性本能を疑う、というと感情的反発が予想されます。
母性本能の存在は、テレビの動物番組、時代劇ドラマなどで描かれ
る母子関係に象徴されるように、動物としての本能であり、時代を超え
て存在するものとされています。それは疑問をはさむ余地のない当然
のこととされています。
母性本能を否定すれば、現代の異教徒とされることを覚悟しなけれ
ばなりません。
私が異教徒として弾圧の対象になるかどうかわかりませんが、 私の
考えを述べてみましょう。
母性本能の存在をまたっく否定するわけではありません。
しかし、それは出産からのある一定期間に限られるものでしかないと
思います。
一定期間後に母子を引き離して子ども他者に育てさせたり、あるいは
集団で育てるという事例は、人間の歴史の中で枚挙にいとまがないと思
われ、 またその習慣の中で母親たちはそれを平然と受け入れていたと
思われるからです。(例えば、縄文時代における子どもの集団墓の存在、
貴族、武士階級における乳母の存在、 明治時代にも認められる広範な
養子縁組の存在)
その事実を悲劇として描くテレビドラマなどは時代考証をまちがってい
ると考えられます。
長期にわたる母子愛が存在することは確かです。 母子愛は子どもが
壮年になっても、老人になっても継続します。
ただ、それは母子同居期間が長い場合の産物であり、 保護・被保護
関係が長いゆえに生じた愛だといえると思います。養父母にも生じる愛、
師弟の間にも生じる愛と同じ、 長い保護・被保護関係によって生じる愛
だと思います。
本能ではなく、文化・習慣が生み出した母子愛だと考えられるのです。
もちろん、 本能による愛と文化・習慣による愛に優劣があるわけでは
ありません。ただ、「家族」のあり方が見直されつつある今日において、母
性本能に反するという言説によって、見直される内容が限定されてしまう
とすれば、それは好ましいことではないと思われるのです。
( 夫婦別姓について「家族制度」を否定するものだという強い抵抗がある
ような現状ですから、 この問題が現実的課題になるのは遠い将来なの
かもしれませんが……)
( おまけ:夫婦別「姓」に反対の人は夫婦同「性」にも反対で、夫婦「同棲」
を原則としていますね!)