2002年5月1日
「人間的」という言葉はあいまいで、時と場合によって内容が変わる
ようですが、肯定的な意味合いで使われていることはまちがいないで
しょう。
しかし、一方では、姿形、力、技、能力、精神、感受性などについて
人並みはずれていること=超人性が人々の憧れの対象となっている
という事実があります。また、生身の人間では不可能なスピード、回転、
空中浮揚、潜水などを各種技術を利用して体験することが人々に好ま
れています。
このことは、人間が人間に過ぎないことを克服したいという存在であ
ること、 ある場合には人間であることを嫌悪している存在であることを
示していると思われます。人間が「神」となることを希求していると言い
換えることもできるでしょう。
さて、 このように人間が「人間的」であることに肯定的でありながら、
一方でそれに不満で「超人性=神性」を求める矛盾した存在であるこ
とが引き起こす問題の一つに性愛の問題があると考えられます。
すなわち、性愛に対しては、一方で「人間的」な営みとしての賞賛が
あります。
他方、性愛に対して、その一般的な衝動の荒々しさという問題と関
係永続の望みと腐朽の容易さの矛盾という問題があり、「超人性=神
性」の一つのメルクマールである精神・行動の平穏・統一を脅かすも
のとしての警戒があります。
人間はこの二つの立場に引き裂かれているのです。
そして、二つの立場に引き裂かれていること自体と引き裂かれ方の
違い、すなわち、 性愛に対する賞賛と警戒が個人の中に同居してい
ること及び賞賛と警戒の程度が個人ごとに違うことが、 個人と個人と
の関係に絶えず不安定性をもたらせ、人間を性愛をめぐる葛藤の中
に引き続き留めることになると考えられるのです。