例えば「生めよ殖やせよ」という量を確保するための労働力政策とか、
「修身斉家」というような「従順」、「健全」を養成する国民教育政策とかの
社会的要請を背景にした性愛コントロール(それは例えば、 結婚強制、
同性愛忌避、自慰蔑視などで、「常識」というようなかたちで我々の中に
入り込んできます)と、 個人の性的志向との不整合がもたらす葛藤は、
社会的要請による性愛コントロールのほうが現在滅びつつあり、このま
まいけば完全に滅びることによって、終局を迎えるでしょう。
時に社会的要請による性愛コントロールが復活しようとし、一部の浮
ついた男たちがそれに悪乗りしようとしても、女たちがそれを受け入れ
ないでしょう。
油断はできませんが、性という私的領域に介入する社会のパワーは
相対的に小さくなっていると思われます。
滅びつつある性愛コントロールを各人が引きずっているために現在発
生している葛藤が遠からず克服され、 個人と個人の関係 (異性、同性、
老若を問わず)という観点からのみの性愛ルールが確立し、いずれ安定
期を迎えるでしょう。
その時には、見るに耐えない、聞くに耐えない人生相談番組はテレビ
から消え、オシャレな料理番組のような性愛の取扱いがなされるように
なる気がします。
相手を排他的に独占したいという欲望がかなえられないことによる葛
藤がありますが、それが歴史的に形成されたものであることはまちがい
ありません。
そして、「蓼食う虫も好き好き」というのか、 現在においても奇跡的とし
か思えない数多くのカップルが生まれているという事実と、排他的欲望を
生み出した社会がこれから変化するのではないかと考えると、おそらくそ
の葛藤も今後かなり緩和されることになるでしょう。
それでは将来、性愛をめぐる葛藤から人間は解放されることになるの
かということになりますが、それは次回の課題とすることにしたいと思い
ます。