2002年5月20日
前回の続きです。
この世界の「法則」を見つけ出そうという科学の営み、その弱点はどこ
にあるのか、というのが今回のテーマです。
まず、第1の弱点は「観測又は実験によるデータの集積」のところにあ
ります。
観測又は実験には、観測又は実験という人間の行為が必ず入り込む
ことになります。しかし、人間の行為が入り込んだ場合と入り込まない場
合とで発生している現象は違っているかもしれません。
また、観測又は実験は、客観的立場を堅持することのできる観測者又
は実験者の存在が仮定されていますが、観測又は実験の対象によって
は観測者が客観的立場を堅持できない場合が考えられます。
人間という要素の影響を受けやすい医学、 とりわけ精神医学の分野
ではこの問題が極めて大きいと思われます。
潮の干満が太陽、月の引力によるものであるように、精神病の治療が
本人だけでなく家族をもその対象として行われるようになっているように、
ある現象はそれを取り巻く広い全体の現象の一部として生起しているは
ずです。
したがって、観測は究極的には世界全体の観測を伴わなければならな
いはずですが、それは無限の観測を必要とするため事実上困難です。科
学はその点について、だいたいの妥当性が得られればいいという「割り切
り」の上に成り立っています。
また、観測又は実験とは、事実という虫を網で捕まえるようなもので、そ
の網の目の細かさには限界があり、 網の目の間から大事な事実が抜け
てしまっている可能性があります。
さらに、人間というものは、ある種のアンテナのようなものですから(直接
感知できない現象を感知できるように変換する技術・能力があるものの)、
AMアンテナではFMが受信できないように、どうしても観測できない事柄が
ある可能性があります。
第2の弱点は次のようなことです。
第1の弱点がありながら、科学が今日のような隆盛を極めているのは、
科学が応用技術と結びついて人類に莫大な利益をもたらせており、更に
大きな利益をもたらせる可能性があるという経済的理由によるものです。
したがって、科学のもたらすものがむしろ有害であるということになった
ら、その兆候はすでに核開発、生命倫理問題、生態系破壊などに現われ
ていますが、科学は人々からかえりみられなくなることになるでしょう。少
なくとも、現在のような巨額の国家予算をつぎ込んで科学振興を図るとい
うことはなくなるでしょう。
一見盤石の基盤を有するがごとき科学ですが、宗教との勝負で勝ちが
決まっていると断定するのはちょっと早計のようです。
( 取り扱いませんでしたが、人間の好きな「価値」とか「意味」の土俵に科
学が上がらないことも、宗教との勝負において大きな弱点であることはい
うまでもありません。)