2002年5月23日
糸井重里氏主催の「ほぼ日刊イトイ新聞」での糸井氏本人、 ムーン
ライダーズの鈴木慶一氏ともう一人の鼎談「どうする幸せな家庭、どう
なる幸せな家庭?!」という題名を見て、岩波の「世界」1985年8月号
上野千鶴子の「家族の前近代・近代・脱近代~核家族の孤立をどう脱
け出すか」を思い出しました。
この小論で上野は、「解体」しつつある「家族」は「近代家族」にしかす
ぎず、「家族」は解体されているのではなくて「再編」されているのだとし、
「父」「母」「子」からなる「家庭的家族」という「近代家族」は歴史的に異様
な(=特殊歴史的な)ものであったことを指摘しています。
すなわち、近代において「家族」の領域のこととされている「性」「生殖」
「子どもの社会化(=子育て)」は、前近代においては共同体(ムラを考え
ればいいでしょう)の関心と統制の対象であったとし、それらが近代にお
いては「私事」として「家族」のこととされ、「公」は「家族」の外側の男の世
界とされたとしています。
また、前近代が、男性集団も女性集団も、互いに他を必要不可欠とす
るそれぞれ異なる労働集団だったという「労働の性分割」の社会であった
のに対し、近代は「公私の分離」を性別に配当した社会(女性は私事に属
し、男性は公事と私事を往復する社会)であったとしています。
上野は「近代家族」の特殊性をこのように明らかにした上で、「近代家
族」のモデルが成立しなくなった現実のもとで発生している「オバン宿」(女
性たちの様々な非営利活動や学習活動のことと思われる)、「男の育児
参加を求めての共同体的子育て」、「産業社会からの家族ぐるみの離脱
」(例えば脱サラ・ペンション経営や家族ぐるみの就農)、「核家族連合」等
についてそれぞれ評価を加え、最後に、男も女も自律的な領域を別々に
発展させ、夫婦がその領域にそれぞれ属することにより相互に自律性を
持つ婚姻形態(=「分散連合型」)を脱近代の家族としています。
この小論が発表されてからすでに長期間が経過しました。
移行に伴う摩擦を発生させつつ、事態は着実に進行しているように感じ
られます。