2011年5月25日(出来たて)

 本日(5月25日(水))、朝日新聞朝刊の「天声人語」で競馬が取り上げられていました。
 新方式「WIN5」(5レースの1着馬をすべて当てる馬券)で1億円超の配当が出たことがそのきっかけのようです。
 
 そのことに異議のあるはずはありませんが、次の記述に反発を感じました。
 「『人の不幸の上に成り立つ自分の勝ち、ギャンブルの快楽はここにある』。競馬随筆の谷川直子さんの洞察だ。ハズレが多いほど配当は膨らみ、アタリの歓喜は極まる。」

 ハズレが多いほど配当が大きくなることは客観的事実であり、大きい配当は大きい快楽です。
 しかし、客観的事実がそうであるからといって、ギャンブラーに『人の不幸の上に成り立つ自分の勝ち』、それが『快楽』というような心理はゼッタイにありません。
 アタリに優越感はあっても、勤労によらずに所得を得ようというのは決して誉められることではないけれど、人の不幸を喜ぶような下品はありません。
 谷川直子さんがどういう方か知りませんが、ギャンブラーを知らない、ギャンブラーを卑しめる、ギャンブラーのふりをしている、許しがたい、もっともらしいウソの記述と批判しないではいられません。その記述に同調している「天声人語」も同罪です。

 ギャンブルの神様・色川武大との交流の中で、夫人夏目雅子を失ったショックから立ち直っていく過程を、最近著「いねむり先生」で書いた、疑いのないギャンブラー伊集院静は次のように書いています。
 
 「バランスがなぜ不可欠かというと、ギャンブルの収支というもののほとんどがマイナスの収支だからだ。麻雀、ポーカーのように胴元がなく、対人のギャンブルであっても収支はマイナスになる。ましてや胴元のあるギャンブルは、最初にテラを取られる。1回毎のテラを払ってからの博奕はプラスに転じるチャンスがきわめて少ない。ではなぜギャンブルをするのか、という疑問を抱く人があっても当然である。しかしその問いに答えはない。ギャンブルは、これをする人としない人がいる。それだけでしかない。」